キリストのない人生は、何の望みもない

人の歴史を通じて何万冊という数の本がありますが、過去から現在までの間に、聖書、聖なる本と呼ばれる一冊の本があります。この本は確かに聖です。なぜなら、それは神の語りかけであり、神の息吹かれたものであるからです(Ⅱテモテ三・十六)。この本は冒頭から、「はじめに、神が天と地を創造された」と述べています(創一・一)。わたしたちはそのことを良く考える必要はありません。なぜなら、それは神が天と地を創造したとはっきり言っているからです。近代科学でさえ、神が確かに土のちりを使って人を造ったことを証明しました。人の中に見られる成分と土のちりに見られる成分は一致しています。神はまずわたしたちの体を造り、次にわたしたちが神を入れるための霊を造られました。

しかしながら、人の霊は人の堕落のゆえにその機能を失ってしまいました。そこで、神は人として来られて、わたしたちの救い主として十字架でわたしたちのために死なれたのです。彼は死人の中から復活したとき、永遠の霊と成って、わたしたちの罪を赦すだけでなく、わたしたちの中に入って、わたしたちの命となられました。何という甘い救いでしょう! 何というすばらしい事実でしょう! 宇宙を創造した主、万物の神は、創造されたが堕落したわたしたち人の中に、実際に喜んで入って、わたしたちの命になろうとしておられます。これは、宇宙における実に大いなる事柄です。こういうわけで聖書は、わたしたちがキリストから離れて生きるなら、わたしたちの人生には望みがないと言うのです。なぜそれには望みがないのでしょうか? それには神がないからです。

わたしたちが信じるキリストは、神ご自身です。彼は人の間に来られた神であり、人にご自身を現される神、人に届く神です。わたしたちに届いたこの神は、わたしたちの救い主です。いったんわたしたちが彼を受け入れるなら、彼とわたしたちは命の中で霊的な結合を持ちます。彼はわたしたちの中に入られ、わたしたちは彼の中に入ります。ですから、わたしたちの人生にキリストと神がなければ、わたしたちに真の目標はありません。先に述べた望みは、この目標を指しています。

わたしたちが出世しようと努力し、忙しい毎日を過ごしているとき、望みがなくてもそれを苦痛とは感じないかもしれません。しかし、わたしたちが幾らか成功を収め、名声を得、自分たちの得たいものをすべて得たとき、存在の深みで大きな欠乏と不満足を感じることでしょう。わたしたちはその欠乏が何であるのかはっきりと言い出すことはできませんが、それを経験します。大学の卒業を目前にしているときなどは特に、わたしたちは人生のむなしさや、はかなさをすぐに感じます。わたしたちの将来はどうなるのか? わたしたちの人生の目標は何だろうか? これは、神とキリストがなければ、わたしたちの人生には目標がないことを示します。目標のない人生が、わたしたちのむなしい感覚の最大の理由です。人が自分の霊の中に神を持っていなければ、どれほど出世しようと、どれほど成功を収めようと、どれほど高い地位に就こうと、大いにむなしく不満足な感覚を持つでしょう。

抜粋:ウイットネス・リー「宇宙の奥義と人生の意義」、JGW日本福音書房

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