イエスは、信じる者たちに永遠の命を与えることを願う

宇宙と万物を創造したこの神は、わたしたちの命のパンと命の水となりたいのです。わたしたちの人生において飢えや渇きを感じたとしても、彼はわたしたちのためにその問題を解決することができます。わたしたちが飢えているなら、彼はわたしたちの命のパンです。わたしたちが渇いているなら、彼はわたしたちの命の水です。わたしは命のパンである、わたしは命の水であると言った後、彼はある日、非常に奥義的な言葉を語られました、「わたしは……命である」。ギリシャ語には、命を意味する三つの異なる言葉があります。すなわち、わたしたちの目に見える、肉体の命を意味する「ビオス」(ルカ八・十四)、わたしたちの魂の命を意味する「プシュケ」(マタイ十六・二五―二六、ヨハネ十二・二五)、神の命、霊的な命を意味する「ゾーエ」(エペソ四・十八、Ⅰヨハネ一・二、ヘブル七・十六)です。主イエスは、「わたしは命である」と言われました。この命はビオスでも、プシュケでもなく、ゾーエです。

言い換えると、主イエスはわたしたちの命となりたいのです。その命は、わたしたちの「ビオス」の命や「プシュケ」の命ではなく、わたしたちの「ゾーエ」の命です。神はわたしたちの命となることを願っていますが、その命はわたしたちが自分自身の中に持っている命ではありません。わたしたちは肉体の中にある肉体の命だけでなく魂の命を持っていますが、神の永遠で神聖な命を持っていません。この神聖な命はわたしたちが必要とする命であり、わたしたちにとって欠かせない命でもあります。わたしたちが肉体の中にある創造された命によって生きるなら、わたしたちに満足はなく、わたしたちの人生には目標も望みもないでしょう。これは、わたしたちの肉体の命と魂の命が一時的で腐敗していて、永遠ではないからです。

神の「ゾーエ」、神聖な命だけが永遠の命です。一部の訳は、「永遠の命」を「永続する命」と訳しています。ヨハネによる福音書第三章三六節前半は言います、「御子の中へと信じる者は永遠の命を持つ」。この意味は、キリストの中へと信じる者は永遠の命を持つということです。主イエスはこう言って、彼の偉大さを示されました。人々が地上で語った聖なる言葉として誇れるものは、良い教理、良い教え、良い哲学にすぎません。自分が命であると言った人は、これまで一人もいませんでした。このように言う資格のある人は、主イエス以外にはいません。主イエスは、彼ご自身が命であるので、そのように言うことができるのです。彼は永遠の命です。

抜粋:ウイットネス・リー「宇宙の奥義と人生の意義」、JGW日本福音書房

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