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通読範囲

イザヤ書5章(1−30)

アウトライン(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』より)

第5章でイザヤはイスラエルの罪科と堕落に関して語っています。

交わった節

イザヤ書5章19節(回復訳旧約聖書)

彼らは言う、「彼は急ぐべきだ。彼の仕事を速やかに行うべきだ。われわれはそれを見よう。イスラエルの聖なる方の助言が、近づいて起こるように。われわれはそれを知ろう!」

解説

この節で、イスラエルの民はエホバを嘲って上記のような言葉を発しました。これらの邪悪な神を冒涜する言葉は、イスラエルの民が神を少しも恐れていなかったことを示しています。(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』40ページ)

ディスカッション

I兄弟:「僕もこのように思うことがあります。神の力をもっと見せて欲しいと。。。」
N兄弟:「確かに、この2000年間、上部だけ見ると神は何もされてこなかったように見えますね。でもね、そんな中でも聖書の言葉から光を得て、神の再臨に備えて準備をした人たちがどの時代にもいたんだよ。」「宗教改革を行ったマルチン・ルターなどもその一人だね。」「私たちの心がどこにあるかが重要なんだよ。」
S姉妹:「神に協力するために私たちにできることってなんだろう」
I兄弟:「僕は何もできる自信がありません。」
S姉妹:「神は私たちを通して、この地を支配しようと思っている。だから、私たちが神に協力できるように内側から変えられる必要があるんだよね。でも、一人じゃ弱いから、仲間と集まって聖書を読んだり、祈ったりしながら、変えられていく必要がある。」
K姉妹:「その秘訣が16節に書いてあるのではないかと思うのだけれど。。。」

交わった節

イザヤ書5章16節
しかし、万軍のエホバは裁きにおいて高くされ、聖なる神は義において、ご自身が聖であることを示される。

解説

義は聖の基礎であり、この基礎の上に聖が展示されます。ですから、聖は義よりも高いのです。神は彼の義を基礎として、ご自身を聖なる神として示します。彼は義において彼の聖を展示します。
神は諸国民に対して義を期待することができるだけです。なぜなら彼らは神の子達ではないからです。神が彼の子たちに期待するのは、聖を見ることです。(エペソ1:4-5)。神の懲らしめと取り扱いは、わたしたちを義から引き上げることです(ヘブル12:5-11)。神は彼の救いにおいてまずわたしたちを義とし、キリストの中で義とならせ(ローマ3:24)、次にわたしたちを聖化し、聖とならせます。義となるとは外側で神がことを行う方法に符合することですが、聖となるとは、内側で神の性質に符合することです。(回復訳旧約聖書 イザヤ書5章16節フットノート1より抜粋)

ディスカッション (続き)

K姉妹:「この解説にあるように、私たちも内側で神の性質に符合する必要がありますね。そのためには、霊を活用しないと。」
S姉妹:「霊は活用してる?」
I兄弟:「はい、祈る時に活用していると思います。僕は神に近づきたいんです。」
N兄弟:「その気持ちが大切なんだよ!」
K&S姉妹:「神様もとても喜んでいると思いますよ。私たちもとても嬉しい!」

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