【聖書通読】イザヤ書第7回:6章全部(1-13)

通読範囲

イザヤ書6章(1-13)

アウトライン(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』より)

第6章はキリストを極みまで啓示している章の一つです。1節から7節には、栄光の中でのキリストのビジョンがあり、そのビジョンを見たことによって照らされ、汚れた自分の姿を認識し、終わらされ、清められるイザヤの姿が描かれています。そして、8節から13節には、イスラエルの民に警告するという使命を三一の神の具体化としてのキリストから受けるイザヤの姿が描かれます。ところで、イザヤがキリストから受けた警告はイスラエルの民に対する警告であると同時に予言でもありました。そして、この予言は今日に至るまで、何世紀にもわたって成就されてきました。

交わった節:1

イザヤ書6章1−4節(回復訳旧約聖書)

ウジヤ王が死んだ年に、わたしは、高く上げられた御座に主が座しておられ、また彼の衣のすそが宮を満たしているのを見た。セラピムが彼の上に舞っており、それそれ六つの翼を持っており、二つをもって顔を覆い、二つをもって両足を覆い、二つをもって飛んでいた。そして、この者は他の者に呼びかけて言った、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍のエホバ。彼の栄光は全地に満ちる」。敷居の基はその叫ぶ者の声に揺らぎ、家は煙で満たされた。

解説

「これらの節は、地上での状態がどうであっても、神の民の間での腐敗と堕落にもかかわらず、キリストはなおも彼の栄光の中で御座の上におられることを示しています」(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』73ページ)これらの節に登場するセラピム(聖書全体でここにしか登場しない)はキリストの聖を表徴するものであり、これらの節におけるセラピムの語りかけは「聖におけるキリストへの賛美」を表しています。また、これらの節の最後にある「煙」はキリストの神聖な栄光を表しています。(回復訳旧約聖書 イザヤ書6章2節フットノート1と3節フットノート1を参照。)

交わった節:2

イザヤ書6章5-7節(回復訳旧約聖書)

その時、わたしは言った、「わたしは災いだ、わたしは終わりだ!わたしは汚れた唇の者で、汚れた唇の民の中に住んでいるのに、わたしの目は、王、万軍のエホバを見たのだ」。するとセラピムのひとりがわたしの所に飛んできた、彼の手に燃えさしがあった。それは、彼が祭壇から火ばしで取ったものである。彼は火をわたしの口に当てて言った、「見よ、これがあなたの唇に触れたので、あなたの罪科は取り去られ、あなたの罪はきよめられている」。

解説

前の節でキリストの栄光のビジョンを見たイザヤはここで照らされ、自分の汚れを見ます。ここに出てくる「祭壇からの燃えさし」は十字架上で完成されたキリストの購いの効果を表徴します。(回復訳旧約聖書 イザヤ書6章5節フットノート1と6節フットノート1より抜粋。)

交わった節:3

イザヤ書6章9-13節(回復訳旧約聖書)

彼は、言われた、「行って、この民に言いなさい、『よく聞け、しかし知ってはならない。よく見よ、しかし理解してはならない』。この民の心を肥え鈍らせ、彼らの耳を鈍くし、彼の目を封じよ。それは、彼らが自分の目で見ず、自分の耳で聞かず、自分の心が理解せず、立ち返らず、癒されることがないためである」。わたしは言った、「主よ、いつまでですか?」彼は言われた、「町々が荒れ果てて住む者がなく、家々に人がいなくなり、地が荒れ果て荒廃し、エホバが人々をそこから遠くに移し、荒れ果てたところがその地の中に満ちるまでである。しかし、そこになお十分の一が残るが、それも次第に焼き払われる。テレビンの木や樫の木のように。それが倒れた後にその切り株は残り、その切り株こそ、聖なる種となる」。

解説

前半に記された神の言葉はイスラエルの民が癒され、回復されるすべが無いことを示しています。そして、後半にある神からの警告の言葉はB.C.758年ごろに与えられ、最後にある聖なる子孫に関する言葉以外は、すでに成就されました。それはB.C.605年ごろに、バビロン人の侵入と捕囚によって始まり、成就されました(列王下第24章-第25章)。この警告はマタイ第13章14節から15節で主イエスによって引用され、使徒第28章25節から27節で使徒パウロによって再び引用され、彼らの務めの下で、反逆的でかたくななユダヤ人に思い起こさせました。主が思い起こさせることと使徒が思い起こさせることは、A.D.70年に、タイタスの下でのローマの軍隊によって成就されました(マタイ23:37-38. 24:2)。さらに、A.D.70年以降、この警告は何世紀にもわたって成就されてきました。(回復訳旧約聖書 イザヤ書6章10節フットノート1より抜粋。)

ディスカッション

  1. 5節でイザヤは「わたしは汚れた唇の者で、汚れた唇の民の中に住んでいる」と言いますが、これはイザヤがどのような状態にあることを示していますか?
  2. 7節でイザヤの罪科は取り去られ、罪は清められます。なぜ、イザヤの罪科は取り去られ、清められたのだと思いますか?
  3. 神がイザヤに語るよう託した警告の言葉を今、わたしたちはどのように受け取る必要があるでしょうか?