【聖書通読】イザヤ書第9回:8章全部(1-22)

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通読範囲

イザヤ書8章(1-22)

アウトライン(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』より)

第7章14節のしるしには実際の成就と真の成就がありました。実際の成就は8章の3節に記されるイザヤの妻によって子が生まれることでした。しかし、神がユダの王アハズに与えられたしるしの真の成就はマタイの福音書1章20−23に記されているように、主が肉体となることでした。「それは神の民の救いのためのインマヌエル、すなわち。神われらと共にいますという結果になりました。全ての神の民、イスラエルの者と召会の者は、インマヌエルによって救われます」(88)。

交わった節:1

イザヤ書8章8節(回復訳旧約聖書)

それは、ユダに押し寄せ、あふれみなぎって、その首にまで達する。インマヌエル、その翼は広がって、あなたの地の幅を満たす」。

解説

ここに出てくる「あなたの地」はユダの地、聖地を示し、キリストの領土であり、キリストはインマヌエル、神われらと共にいます方です。アッシリアの軍隊によって侵入されたこの地は、キリストが受け継ぐ地であり、彼はそこに彼の二組の選びの民、すなわち地の民としての選ばれたユダヤ人と、天の民としての選ばれ信者たちをもって、彼の千年王国を建造します。神の永遠のエコノミーは、ご自身のために二つの民を宝として得ることです。
神の敵サタンは諸国民を用いて、神のエコノミーの完成を阻止します。聖地(インマヌエルの地)に侵入し占有する者は、ダニエル第2章の人の像で表徴され、その頭はバビロンです。旧約における神の民の敵は、バベルから出てきたバビロンから始まりました。新約で神の選びの民(召会)の敵はなおもバビロン、すなわち大いなるバビロンと呼ばれます(啓示録第17章〜第18章)。最後に宗教のバビロン(背教のローマ教)と物質のバビロン(ローマの都)は破壊され、その後、王国が来ます。バビロンの終結でさえ、処女がインマヌエルと呼ばれる男の子を産むしるしに含まれます。インマヌエルのしるしは今日もなお成就されつつあります。それは、聖書の創世記第11章から啓示録第22章までを網羅するすべてを含むしるしです(回復訳旧約聖書 イザヤ書8章8節フットノート1)。

交わった節:2

イザヤ書8章14~15節(回復訳旧約聖書)

彼は聖なる所となられるが、イスラエルの二つの家には打つ石とつまずきの岩となり、エルサレムの住人には落とし穴と罠となられる。多くの者はそれにつまずき、倒れ、粉々に砕かれ、罠にかけられ、捕らえられる」。

解説

「キリスト、インマヌエルは、神の選びの民にとって聖なる所、すなわち内なる宮、至聖所、神の祭司としての彼らが、神と共に住み、神を礼拝し、神に仕える場所となられます。彼はまた諸国民にとって打ち砕く石であり、不信の者と反対者にとって打つ石、つまずきの岩、落とし穴、罠です」(回復訳旧約聖書 イザヤ書8章14節フットノート1)。

交わった節:3

イザヤ書章16~20節(回復訳旧約聖書)

この証を束ねよ。この教えをわたしの弟子たちの間に封じよ。わたしはエホバを待つ。彼は彼の御顔をヤコブの家から隠しておられる。わたしは彼を熱心に望み見る。見よ、わたしと、エホバがわたしに下さった子たちは、シオンの山に住む万軍のエホバから来た、イスラエルの中でしるしと不思議となっている。人々があなたがたに、「さえずり、そしてささやく魔術師と霊媒に尋ねよ」と言うとき、民は自分の神に尋ねるべきではないか?生きている者のために、死人に尋ねるべきであろうか?律法と証しに尋ねよ!もし彼らがこの言葉にしたがって語らないなら、それは彼らに夜明けがないからである。

解説

「インマヌエルとしてのキリストは、預言者がその証し、すなわち、律法を束ね、この教えを彼の弟子たちの間に封じ、ヤコブの家から御顔を隠しておられるエホバを待ち、彼を熱心に望み見るようにさせられます。」また、「インマヌエルとしてのキリストは、預言者とエホバが彼に下さった子たち(キリストと信者たちを予表するーヘブル2:13後半)を、シオンの山に住む万軍のエホバから来た、イスラエルの中でのしるしと不思議とされます。最後に、インマヌエルとしてのキリストは、神の民が魔術師や霊媒に尋ねないで、神に尋ねるように、生きている者のために、死人に尋ねないようにさせます。神の民は、律法と証しに行き、夜明けに彼らの中にあるこの言葉にしたがって語るべきであり、行って迫害され、飢えるべきではありません。それは、彼らが激しく怒って、自分の王と自分の神をのろい、顔を上に向けて、地を見るが、そこには苦難と暗闇、苦悩の暗黒しかなく、暗闇の中に追いやられるということがないためです。わたしたちは、神と彼の教え以外の何にも聞くべきではありません。この神は今日、インマヌエルです。ですから、わたしたちは新約聖書に来て、四福音書、使徒行伝、書簡、啓示録に聞かなければなりません。(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』90-91)。

ディスカッション

  1. 第7章14節のしるしの実際の成就、また、真の成就とはとはどのような事を指しているでしょうか?
  2. 「インマヌエルのしるしは今日もなお成就されつつある」とはどういう意味でしょうか?

2020年7月29日の交わりを終えて

前章に引き続き、8章も「とても分かりにくい」という意見が出ました。そのため、時間をかけて何度も聖書の言葉をみんなで読み返しました。そして、最後に「分かった」という感覚が与えられました。しかし、分かったという感覚が得られなくても、それらの言葉を信仰で受け入れていくことが重要なのではないか、そのような行為を続けることによって、知恵が神から与えられ、自然に理解力が与えられるのではないかという結論に至りました。

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