【聖書通読】イザヤ書第11回:10章全部(1~34)

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通読範囲

イザヤ書10章(1~34)

アウトライン(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』より)

第10章1~4節では、イスラエルの不正に対する神の裁きについて、そして5〜34節にアッシリアに対するエホバの裁きが記され、20〜27節には、イスラエルの立ち返ることと釈放について語られています。つまり、イスラエルに対する裁きとアッシリアに対する裁きの後、イスラエルは立ち返り、釈放されます。

交わった節:1

イザヤ書10章5~7節(回復訳旧約聖書)

災いだ、アッシリア、わが怒りのむちよ!彼らの手にある杖はわたしの憤りである。不敬虔な国に、わたしのあふれる激怒の民に敵対して命じ、分捕り物を分捕らせ、戦利品を略奪させ、それを巷の泥のように、踏みつけられる土とする。しかし、彼らはそのように思わず、彼らの心もそのように考えない。彼らの心にあるのは、滅ぼすこと、多くの諸国民を断ち滅ぼすことである。

 

解説

イスラエルが腐敗したので、神はアッシリアをむちまた杖として用いて、イスラエルを裁きました(列王下18:9~12)。しかしアッシリアは、神が定めた限度を超えて、その事柄をこのように思わず、彼らの心はこのように考えませんでした。こうして、アッシリアは過度に行動し、アッシリアの王は高慢になりました。ですから、エホバはアッシリアの王を裁きました(回復訳旧約聖書 イザヤ書10章5節フットノート1)。

交わった節:2

イザヤ書10章20~27節(回復訳旧約聖書)

その日には、イスラエルの残された者[レムナント]、ヤコブの家の逃れた者は、もはや自分を打つ者に頼らず、エホバ、イスラエルの聖なる方に、真実をもって頼る。残された者[レムナント]、ヤコブの残された者[レムナント]は、大能の神に立ち返る。イスラエルよ、たとえあなたの民が海の砂のようであっても、その中の残された者[レムナント]だけが立ち返る。壊滅は確定しており、義に満ちあふれている。徹底的な破壊と厳格な決定を、主・万軍のエホバは、全地のただなかで行おうとしておられるからである。それゆえ、主・万軍のエホバはこう言われる、「シオンに住むわたしの民よ、アッシリアが、エジブトがしたようにむち打ち、杖をあなたがたに振り上げても、恐れてはならない。もうしばらくして、わたしの憤りは終わり、そしてわたしの怒りは彼らの滅びに向けられるからである。オレブの岩でミデアンを打ったように、万軍のエホバは、彼らにむちを振り上げられる。彼の杖を海にかざして、エジプトにしたように、彼はそれを上げられる。その日になると、彼の重荷はあなたの肩から、彼らのくびきはあなたの首から除かれる。そのくびきは、肥え太っているゆえに砕かれる」。

解説

その日には、イスラエルの残された者[レムナント]、ヤコブの家の逃れた者は、もはや自分を打つ者、すなわち、アッシリアの王に頼らず、エホバ、イスラエルの聖なる方に、真実をもって頼ります。エホバに真実をもって頼るとは、誠実をもって彼に頼ることです。また、「残された者[レムナント]、ヤコブの残された者[レムナント]は、大能の神に立ち返る。イスラエルよ、たとえあなたの民が海の砂のようであっても、その中の残された者[レムナント]だけが立ち返る。」この言葉はパウロによって、ローマ人への手紙第9章27節で引用されています。ただ残された者[レムナント]だけが立ち返る理由は、ここに書かれているように「徹底的な破壊と厳格な決定」を行われるのは「主・万軍のエホバ」であり、全ては神の主権によって決定されるからです(『旧約ライフスタディ イザヤ書(一)』111~112)。しかし、イスラエルの残された者[レムナント]が神に立ち返るのも「神のあわれみからであり、神のあわれみによります。それは、私たちの努力によって得ることはできません。ですから、わたしたち神を礼拝しなければなりません。神のあわれみのゆえに、彼を礼拝しなければなりません!」(回復訳新約聖書 ローマ人への手紙 9章21節フットノート1)

ディスカッション

  1. 15節の言葉「斧は、それを持って切る人に向かって自分を誇るだろうか?のこぎりは、それをひく人に向かって自ら高ぶるだろうか?それは、むちがそれを上げる者を動かし、杖が木でない者を上げるようなものである。」はアッシリアのどのような態度を示していますか?また、それに対してエホバはどのように応じましたか?
  2. 10章を読んで、エホバはどのような方だと感じましたか?

2020年8月12日の交わりを終えて

残された者[レムナント]は、最終的に、子羊の婚姻に招かれる花嫁(啓示録19:7~10)、命が円熟し、一人の花嫁へと建造された信徒たちとなります。つまり、神は、旧約時代から今に至るまで、この花嫁を得るために、主権ある権威に従って人を召し、あわれみを示してこられました。「神様はどれだけ自分を求めているのか、今はあまり分からないけれど、イザヤ書を読み進めながら、神様が一貫して、人が神へと立ち返ることを求め、働きかけておられることが分かった」という意見がありましたが、毎週もたれる聖書通読を通して主がわたしたちに語りかけて、引き寄せてくださっていることを感じ、改めて主に感謝しました。

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