【聖書通読】イザヤ書第12回:11章全部(1~16)

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通読範囲

イザヤ書11章(1~16)

アウトライン(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』より)

第11章には、キリストを通してもたらされる復興の絵が描かれています。

交わった節:1

イザヤ書11章1~5節(回復訳旧約聖書)

1.そして、一つの芽がエッサイの切り株から出て、その根から出た一つの枝が身を結ぶ。2.そして、エホバの霊が彼の上にとどまる。それは、知恵と聡明の霊、助言と勢力の霊、エホバを知る知識とエホバを畏れる霊である。3.彼はエホバを畏れることを喜び、また、彼の目が見ることによって裁かず、彼の耳が聞くことによって決定しない。4.しかし、彼は義の中で貧しいものを裁き、公正をもって地の苦しむ者のために決定する。そして、彼の口のむちで地を打ち、彼の唇の息で悪しき者を殺す。5.義は彼の腰の帯となり、信実は彼の胴の帯となる。

 

解説

これらの節は、復興の中で来られるキリストを啓示しています。復興の時、来るべきキリストはエッサイの切り株から出る芽、その根から出る枝となります。イスラエル、特にダビデの家は、高い木のようでした。しかしながら、イスラエルの堕落のゆえに、その木は根の所で切り落とされました。これがダビデの子孫の状態でした。マリアと彼女の婚約者ヨセフはダビデのこの子孫でした。彼らは王の家族の一部分でしたが、貧しくなり、低い階級の人々であり、卑しめられた地ガリラヤの、卑しめられた町ナザレに住みました。これは、ダビデの家が根元で切り落とされたことを示します。
ある日、残っている部分から一つの芽が出ました。芽としてのキリストが、地上の切り株、刈り株から出ました。これは復興が命により、命のものであることを示します。さらに、枝としてのキリストは地の下の根から出て、復興する命の深みを表徴し、神を枝出しして多くの実を結びました。
枝と芽は一です。キリストは彼の誕生において芽でした。彼は成長した時、枝でした。彼が枝を出すゆえに、全世界はこの枝の実で満ちます。
2節に記されているように、エホバを枝出しすることは、完全にその霊の事柄です。キリストはその霊から生まれました。それは、彼がその霊で構成されていることを意味します。次に、彼はその霊をもってバプテスマされ、油塗られました。その霊は絶えず彼と共にあり、彼と一でした。彼はその霊によって歩み、その霊の中の、その霊と共なる、その霊による、その霊を通しての生活をされました。こうして、ヨハネによる福音書第14章で啓示されているように、その霊はキリストの実際であるのです。
5節で義は彼の腰の帯となり、信実は、彼の胴の帯となります。腰に帯することは、動き、行動し、特に戦う力を人に与えます。義と信実は、立ち、闘うためのキリストの二つの美徳です。彼は真実をもって立ち、義をもって戦われます(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』113-115)。

交わった節:2

イザヤ書11章10節(回復訳旧約聖書)

その日、エッサイの根は、もろもろの民の旗印として立っており、彼は諸国民を求め、彼の憩う所は栄光となる。

解説

ここで、キリストはエッサイの根でもあり、彼の憩う所は栄光となることを見ます。彼の憩われる所には栄光があります。栄光は神の表現です。キリストのおられる所には神の表現があります。表現された神は、キリストの憩われる所です。
一方で、芽、枝、エッサイの根としてのキリストは、人生に結び付けられています。もう一方で、キリストは神と大いに関係があります。なぜなら、彼のおられる所に、神の表現があるからです。この絵は、神と人、神・人としてのキリストを描写しています。
また、イスラエルの復興を通して、キリストはもろもろの民の旗印、また諸国民の旗となります。旗印は主に標示、説明、指示のためであり、旗は主に人を召し、集めるためです。イザヤはこの章で、芽また枝としてのキリストを旗印また旗としてのキリストと一対にしています。芽としてのキリストが神の民の間で成長する時、この成長する芽は旗印となり、地の民に、キリストが神の民にとって何であるかについて記述し、説明し、標示し、指示をしさえします。枝としてのこの同じキリストが成長して旗となり、地の諸国民を召し、集めます。
復興の時、地上のすべての諸国民はキリストに転向して彼を追い求め、進んで彼の民となります(回復訳旧約聖書 イザヤ書11章10節フットノート2と3)。

交わった節:3

イザヤ書11章6節(回復訳旧約聖書)

おおかみは小羊と共に住み、豹は子やぎと共に伏し、子牛と若獅子と肥えた家畜は共にいて、小さい子供がこれらを導く。

解説

アダムが堕落した時、罪が彼の中に入ってきました(ローマ5:12)全被造物のかしらである彼が堕落したので、サタンのものが被造物の中に入ってきました。復興の時、キリストの復興する力は全被造物をサタンの有毒な要素から救い出し、外側の行動においてだけでなく、内側の性質においても変化をもたらします(ローマ8:19-21)。その結果、被造物の間の状態は喜ばしく、平和で、愛すべきものとなります。この変化は、神を知る知識、すなわち神を知ることが地を満たすからです(回復訳旧約聖書 イザヤ書11章6節フットノート1)。

ディスカッション

  1. ここに描かれている復興の時にイスラエルの民は神へと回復されますが、これは二度目の回復となります。イスラエルの民が一度目に回復されたのはいつでしょうか?
  2. なぜ復興の時に、すべての異なる獣がそんなにも平和に、心地よく、愛すべきものとなって共に住むようになるのでしょうか?

2020年8月19日の交わりを終えて

11章に描かれている復興の時の絵は千年王国の時代に見られる光景であり、ここに描かれている被造物の平和な光景が、サタンが追放され、神の支配が回復される時に起こることを確認しました。また、エッサイの根から出たキリストを通して復興の時が速やかに到来したわけではなく、王国が速やかに訪れる代わりに、異邦人に救いが行き、恵みの時代がもたらされたことも交わりました。イザヤ書11章に表されているように、旧約聖書では、今、私たちが生きている恵みの時代が暗示はされていものの、はっきりとは描かれていないという点にも印象付けられ、今、異邦人である私たちにも、救いが届き、神の命を得られる幸いを感じました。

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