【聖書通読】イザヤ書第13回:12章全部(1~6)

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通読範囲

イザヤ書12章(1~6)

アウトライン(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』より)

第12章には、エホバの愛する民が享受する救いが描かれています。ここに記されているように、神の救いを享受する道は、新約に啓示されている道と正確に符合しています。

交わった節

イザヤ書12章1~4節(回復訳旧約聖書)

1. その日、あなたは言う、「エホバよ、あなたをほめたたえます。あなたはわたしに対して怒られましたが、あなたの怒りは去り、わたしは慰められたからです」。2.見よ、神はわたしの救いである。わたしは信頼して遅れることはない。ヤハ・エホバはわたしの力また歌であり、わたしの救いとなられたからである。3.それゆえ、あなたがたは歓喜をもって、救いの泉から水をくむ。4.その日、あながたは言う、「エホバに感謝せよ。彼の御名を呼び求めよ!彼のみわざをもろもろの民の間に告げ知らせよ。彼の御名が高く上げられることを思い起こさせよ(略)。」

 

解説

2節にあるように、わたしたちが受け入れて享受している救いは、主ご自身以外の何ものでもありません。そして、「力」と「歌」は神の救いの経験を示しています。神の救いがわたしたちによって経験される時、それはわたしたちの「力」となり、その結果はわたしたちの「歌」、賛美となります。また、3節にあるように、主をわたしたちの救いとして受け入れるのは、救いの泉から水をくむことです。わたしたちの救いとして、主はわたしたちにとって水です。これは新約で、ヨハネによる福音書第4章と第7章で強く強調されています。ヨハネによる福音書第4章14節で、主イエスは言われました、「わたしが与える水は、その人の内で源泉となり、湧き上がって、永遠の命へと至るのである」。ヨハネによる福音書第7章で、この源泉は、生ける水の川々となります(37-39節)。これは、主がわたしたちの救いとなられるとは、彼が生ける水であるのを意味することを示しています。
啓示録第22章1節と2節に、命の水の川と命の木があります。これらの節は、三一の神から流れ出ることを描写しています。神と小羊は御座におられ、命の水の川、その霊の象徴は御座から出てきます。キリストを表徴する命の木は、命の水の川の中で生き、生長します。もし川がわたしたちに届かないなら、命の木も届かないでしょう。命の木が命の水の中にあるからには、木を享受する道は水を飲むことです。わたしたちは、命の水を飲むとき、三一の神を享受します。今日わたしたちはキリストについて語り、キリストを教えるだけでなく、命を与える霊としてのキリストから飲む必要があります。
エペソ人への手紙第4章についての最近のメッセージで、キリストはからだの要素であり、その霊はからだの本質であることをわたしは指摘しました。もし本質なしに要素を持つだけなら、わたしたちが持っているものは単なる客観的なものであって、わたしたちの経験とは何も関係ないでしょう。要素としてのキリストについてどれほど知っていても、もし本質を持っていないなら、この要素は、主観的に、経験的に、わたしたちとは何の関係もないでしょう。しかし本質としてのその霊を持つなら、要素としてのキリストをも持つでしょう。命の木の本質は、命の水の中にあります。キリストを命の木として、命の要素として享受しようとするなら、わたしたちは彼を命の水として、命の本質として飲まなければなりません。
旧約時代でさえ、イザヤは主をわたしたちの救いとする道が、歓喜し賛美して彼の御名を呼び求めることであると啓示しています。彼の御名を呼び求めることは、深い深呼吸のようなものです。「おお、主イエスよ!主イエスよ!」と呼ぶなら、わたしたちは新鮮にされ、復興され、とても生き生きとしたものになるでしょう。救いを享受するためには、主ご自身がわたしたちの救い、力、歌でありこと、そして彼の御名を呼び求めることによって、歓喜を持って救いの泉から水をくむことを認識する必要があります。
4節後半の言葉は福音を述べ伝え、キリストと彼がわたしたちのためになしてくださったことについて、人に語ることによって、わたしたちの享受したものを彼らに知らせることです。わたしたちは語るとき、キリストの御名が高く上げられたこと、彼が昇天して、今や天におられることを、人々に告げる必要があります。(『旧約ライフスタディ:イザヤ書(1)』120-122)。

ディスカッション

  1. 2節に記されている「力」と「歌」は神の救いの経験を示していますが、どうすれば、わたしたちは神を経験することができるのでしょうか?

2020年8月26日の交わりを終えて

本日の交わりでは、ある若い兄弟が「人生って虚しいな。。。」と思う時に神のことを思い浮かべるのだということ、そして、自分は、一人ではなく、神がいつも共にいてくださること、永遠があることを思い、慰められるのだと話してくれました。ですが、自分が大変な時に、神の事をほとんど思い浮かべることはなかったということも告白してくれました。そこで、実はそういう時こそ神を経験するチャンスであることを交わりました。そして、これからは、自分が不安になったり、焦ったり、疲れた時に「おお、主イエスよ!主イエスよ!」と呼ぶことを約束してくれました。今は、恵みの時代であり、わたしたちは豊かに神の力を吸い込むことができ、神から生ける水を沢山飲むことができます。わたしたちがこの恵みの時代に神を享受し、わたしたちの「力」とし、また「歌」、賛美で溢れる生活を持つことができますように。

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