歴史を遡るなら、主の回復の働きは16世紀においてマルチン・ルターの宗教改革において顕著に見られます。16世紀の宗教改革は、キリスト教の歴史における大きな転換点でした。その中心人物の一人であるマルチン・ルターは、聖書の真理に立ち返ることを訴え、当時の教会のあり方に異議を唱えました。

Ⅰ. 「信仰による義認」の回復

590年に、グレゴリウス大王が法王の座を設立したとき、ローマ・カトリック教会が世界に完全に確立されました。900年以上経って、マルチン・ルターが十六世紀の初めに起こされました。ローマ・カトリック教会が確立された590年からマルチン・ルターが起こされる1517年までおよそ900年の期間、ローマ・カトリック教会は最善を尽くして教会を腐敗させ、堕落させ、変質させました。ローマ・カトリック教会の影響の下で、これは人類歴史における最も暗い期間でした。

マルチン・ルターはローマ・カトリック教会によって引き起こされて、真理を追い求め始めました。ルターは宗教改革における中心人物でしたが、単独ではありませんでした。実は、宗教改革はルターが起こされるはるか前に始まりました。ジョン・フスはルターが登場する前にローマ・カトリック教会を改革しようとしました。フスは主の御言から光を受けて、基本的な真理を語りました。彼の宣べ伝えはローマ・カトリック教会の教えに反していたので、彼は殉教しました。しかしながら、彼が中央ヨーロッパでまいた種は、100年後に実を結びました。

ジョン・フスで始まった教会の回復は、十分強くありませんでした。ルターが起こされてはじめて、教会の回復は十分に強く、完全になりました。ルターと共に立った人たちは、「信仰による義認」に関する真理を回復しました。彼らが回復した最初の事柄は、カトリック主義が神の救いを失ってしまったということでした。

早くから、ルターはローマ・カトリック教会を改革する事を求めていましたが、彼の計画を遂行することはできませんでした。しかしながら、法王の免罪符を売ることに関する乱用を、彼は容認することはできませんでした。法王の代理はあらゆる都市で免罪符を売っており、人々は免罪符を買う限り、彼らの罪は赦されると告げられました。このようにルターによる宗教改革の前、教会は極みまで堕落していたのです。

神の回復の働きは、信仰による義認の基本的な真理をもって始まりました。マルチン・ルターはこの事柄を、多くの光と大きな透明さをもって表現しました。しかしながら、ルターに従ってカトリック主義から出てきた人たちは十分に純粋ではなく、依然としていくらか混乱していました。ルターの時代、ローマ・カトリック教会は多くのヨーロッパ諸国の政府と連合していました。ですから、ルターはローマ・カトリック教会に挑戦したとき、関わった政府にも挑戦していました。しかしながら、いくつかの政府はローマ・カトリック教会と一つ思いではありませんでした。例えば、ドイツ周辺地域の国家はルターの連合しました。一方でルターはローマ・カトリック教会から迫害に苦しみ、カトリック主義を支援した政府によって悩まされましたが、もう一方で、ドイツなどの国によっていくらかの支援と保護を受けました。このような板挟み状態はルターを極めて困難な地位に置きました。

Ⅱ. 国教会

ドイツは国教会を設立し始めました。ルターは国教会が間違っていることを知っていましたが、彼はこの事柄において弱かったのです。なぜなら、彼はドイツの保護を必要としたからです。この後、英国、デンマーク、スウェーデンは相次いで従い、国教会を設立しました。国教会は王、あるいは皇帝をその代表とします。例えば、ドイツの皇帝はドイツの国教会の代表です。人がドイツ人である限り、彼はドイツ国教会のメンバーです。あらゆるドイツ国民は教会税を払わなければなりません。このゆえに、ローマ・カトリックの他に、いわゆる国教会があるのです。

ルターの著作ははっきりと、教会が国家から分離されるべきであることを、彼が知っていたことを示していますが、彼はこの分離を成し遂げることができませんでした。彼は、他の人がそれを行うことができることを望みました。ルターは、カトリック主義から抜け出し、プロテスタントとなりましたが、それは不完全なものでした。なぜなら、それは最初から明確に断ち切ることをしなかったからです。

信仰による義認は良い回復でしたが、ルターの死ぬ前でさえ、プロテスタントの諸教会は政治との連合のゆえに混乱していました。信仰による義認を受け入れた多くのプロテスタント信者は、教理を受け入れただけで真に再生されていませんでした。その結果、彼らの多くのこの世的な事柄をプロテスタント主義へともたらしました。「正常な教会生活」は、ルターの時代に回復されませんでした。主は彼を用いて、信仰による義認に関する真理を回復し、聖書を一般大衆に対して開きました。ルターは彼の命という代価を払って、この真理のために立ちました。ところが、彼は教会に関する真理にきた時、弱かったのです。彼は正常な教会生活を持つという神の真の意図に、わたしたちを連れ戻しませんでした。彼は信仰による義認の真理をもって回復を始めましたが、他に触れる価値があることを何も回復しませんでした。

ですから、啓示録(ヨハネによる黙示録)第3章で主はサルデスに在る教会に言われます、「あなたは生きているというのは名だけで、実は死んでいる。・・・残っているもの、死にかかっているものを堅固にしなさい。わたしは、あなたのわざのどれも、わたしの神の御前で完成されているのを見ていないからで在る。・・・サルデスには、自分の衣を汚さなかった者が数名いる」(啓示録(ヨハネによる黙示録)3:1-2,4)主からサルデスに在る教会へのこの言葉は、プロテスタント主義の状態に関する予言です。

誰もがルターを主の偉大なしもべと認めます。しかし、彼の間違いは教会のビジョンに欠けていたことです。わたしたち人は間違いを犯します。わたしたちの保護は、「教会とは何か?」を十分に認識することです。そして、神はこの回復の働きに続き、カトリックの中にいる主を愛する聖徒たちを用いて新たな回復の働きをおこなわれました。

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【全10記事】教科書には載らない教会歴史

【PART1】主の回復の出発点(1世紀〜4世紀)

【PART2】教会の堕落(5世紀〜15世紀)

【PART3】マルチン・ルターと宗教改革(16世紀)

【PART4】内なる命の経験の回復(17世紀)

【PART5】モラビア兄弟団による教会生活の開始(18世紀)

【PART6】ブラザレンによる回復された教会生活(19世紀)

【PART7】英国、南米、米国における主の回復(20世紀)

【PART8】中国における主の回復の開始(20世紀)

【ダイジェスト版】教科書には載らない教会歴史

隠されてきた真の教会歴史 – 主の回復とは?-

参考資料

・召会と地方召会の歴史 ウィットネス・リー著

・召会の行程 ウィットネス・リー著

・ウィットネス・リー全集 1981年第二巻(上)「主の回復の歴史と啓示 第一巻」

・「回復訳聖書 フットノート」ウィットネス・リー著
出版元:日本福音書房

※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していなければすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」

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