よくある質問
FAQ
すべての人に、わたしたちが共通の信仰を大切にし、聖書の真理にしたがって誠実に歩む者たちであることを知っていただけたら幸いです。
わたしたちはイエス・キリストを、わたしたちの主、救い主として信じています。主イエスはわたしたちの命であり、わたしたちの中に生き、わたしたちのすべてとなっています。わたしたちは主を愛し、主に仕えるだけでなく、多くの人が主イエスを実際に知り、経験することを助けたいと願っています。
わたしたちは主イエスを信じ愛する兄弟姉妹たちと共に集会しており、どのような組織、宗派にも属していません。わたしたちの目標は、すべてのキリストにある兄弟姉妹が分裂や分派がなく、ひとつのキリストのからだとして共に歩むことです。
わたしたちはすべての主イエスを信じる人を歓迎し、愛する兄弟姉妹としての交わります。わたしたちの真実な願いは、この地上でのキリストのからだである諸地方教会を通して神の愛だけでなく、すべての権威に服従するイエスの証しを持つことです。主がこの時代に、神の権威に服従する一群れの証し人を得ますように。
Q1 : クリスチャンでなくても、教会に行けますか?
もちろん、大丈夫です。現在おられる方々も初めて教会に来られた時は、ほとんどの人がクリスチャンではありませんでした。一歩目は勇気がいるかと思いますが、わたしたちも温かく歓迎したいと思いますので、どうぞお気軽にお越しください。一度来たら、来続けなければならないこともありませんので、ご安心ください。
Q2 : 初めて教会に行く場合、どうしたらよいですか?
教会の人に初めて来たことを伝えてくだされば、ご案内します。そのまま集会所に入ってくださっても構いませんし、お声をおかけくだされば、教会や集会についてご説明いたします。ご連絡はこちらからお願いします。
Q3 : 持ち物や指定の服装などはありますか?
貸し出し用の聖書や詩歌がありますので、手ぶらで来ていただいて構いません。服装の決まりはありませんので、普段着で大丈夫です。
Q4 : 信仰や入会を強制されたりしませんか?
信仰を強制はすることはありませんので、ご安心ください。なぜなら、信仰は強制されるものではなく、自ら選ぶ事柄であるからです。また、入会や入信などはございません。
Q5 : 献金を強制されたりしませんか?
献金を強制されることはありません。わたしたちは献金袋を回すこともありません。献金は神に対して自発的に隠れて行なうものですので、各自の信仰に委ねられています(マタイ6:1-4)。
Q6 : 聖書の言っている救いとは何ですか?
一つは永遠の滅びからの救いです(ヨハネ3:16)。永遠の滅びというのは、世間では地獄と言われているもの、聖書では火の池と呼ばれているものに永遠にわたって入れられることです(啓示録20:15)。これは第二の死とも言われています。だれでも主イエスを信じることにより、この事から永遠に救われます。
もう一つの救いは日ごとの救いです。神の命を受け、この命を成長させることにより、日常生活の中でさまざまな消極的なものから救われ、積極的なものを与えてくれます。この救いは、罪、短気、不安、悩み、憎しみ、不満、口論などから解放し、喜び、愛、満足、知恵、思いやりなどを与えてくれます。
Q7 : 「○○に在る教会」って何?
沿革=「○○に在る教会」とは、分派(教派)、組織・伝統を嫌うキリスト者たちが、純粋に聖書の模範に従い、日本では1954(昭和29)年頃から、それぞれ地元に在って一つである立場に立って集まるようになった教会です。本部を持ちませんし、何一つ永久的な職位、組織化された指導権もありませんし、どんな階級制度も、準頭者も、中間者も認めていません。聖徒たちはみなお互いに兄弟姉妹としか呼び合っていません。現在七十数都市にこのような教会があります。なお、「地元にあって合一である立場に立つ教会」とは、説明のことばです。名称ではありません。(出典:2018年キリスト教年鑑、p.121)
聖書はわたしたちの唯一無二の標準ですので、わたしたちは聖書の中で罪定めされている分裂の立場や独自の名称(それが聖書の真理であれ、偉大な人物であれ)を取ることはしたくありません(Ⅰコリント1:10-12)。聖書の中の教会の立場は、「アンテオケに在る教会」(使徒13:1)や「エペソに在る教会」(啓示録2:1)などと書かれているように、地方都市がその立場であることがわかります。このゆえに、調布市に住んでいるわたしたちは聖書で示されている模範にしたがい、「調布に在る教会」として教会生活を行なっています。
また、使徒の時代の初期の認識と実行によれば、教会は建築物を指すのではなく、その地方都市に住むすべてのクリスチャンを指していました。わたしたちは主イエス以外の名前を何も掲げない、調布に在る「教会」であることを神の御前で望んでいます。そして、ヒラデルヒアに在る教会のように、少しばかりの力をもって、主の言葉と主の御名を否まずに、主に喜ばれる者となることを願い(啓示録3:8)、共に神の住まいとして建造されていくことを目標としています(マタイ16:18、エペソ2:21-22)。
Q8 : 教会と召会って何が違うの?
日本語で「教会」と言うと、とんがり屋根に十字架のついている建物を想像する方が多いのではないでしょうか? あるいは、漢字の意味から見ても、「会衆に教える」というイメージになりますよね。でも、この言葉のギリシャ語原文は「エクレシア(ekklesia)」という言葉で、「ek(~から)」と、「kaleo(召された会衆)」の派生語から成っています。ですから、原文の意味は、「召し出された会衆」、つまりこの世から救われたクリスチャンの集まりのことを指しているのです。ですから、わたしたちは真理の意味が正確に伝わるように「召会」という言葉を採用しています。
教会という言葉が最初に使われたのは西洋の宣教師たちが日本に来た時でした。彼らは、信者の集まりを教会、すなわち、宗教の集会と呼びました。それにあたる英語はchurchです。ある辞書はそれを礼拝堂(クリスチャンの集まる場所)であると言っています。また、ある辞書はクリスチャンが一つの団体であり、その名称がchurchであると言っています。
A.D.1828年、宗派の立場から出て来た一群れのクリスチャンたちから成るブラザレンが英国で起こされました。その中で先頭に立ち、主に大いに用いられたジョン・ネルソン・ダービーはこの啓示をはっきり見て、彼の訳した聖書では「church(教会)」ではなく「assembly(集まり/会衆)」という言葉を使いました。それはクリスチャンの集まり、すなわち、召会を指します。二十世紀に至って、中国圏の海外では召会という言葉を使うクリスチャンが増えてきていますが、日本でこの真理を見て、この言葉を用いている群れはわたしたち以外にほとんどいないのが現状です。
Q9 : 主日って何?
「主日(Lord’s day)」という言葉は、聖書の中で一回だけ使われています。使徒ヨハネは啓示録第1章10節で、「わたしは主日に霊の中にいた」と言っています。主日は初めの日であり、週の初めの日は主の復活の象徴です。なぜなら、主イエスは週の初めの日に死人の中から復活されたからです(ヨハネ20:1)。わたしたちは聖書の啓示にしたがって、日曜日ではなく主日という呼び方を好んで使っています。
Q10 : なぜ牧師がいないのですか?
わたしたちの召会には専門職としての牧師や神父はおりません。その理由はこちらのブログをご参照ください。
Q11 : 主の回復って何?
わたしたちが地方の立場に立っているのは、神が現在しておられる回復の働きにあずかるためです。わたしたちは「主の回復」という名称の団体ではあります。「主の回復」とは神が行われれている働きを指しています。わたしたちについて詳しく知りたい方は、こちらのブログをご参照ください。
Q12 : 回復訳聖書とは何ですか?
わたしたちが地方召会の中にいるのは、神の回復のためです。その理由はこちらのブログをご参照ください。
当方は、エホバの証人、統一原理、モルモン教とは一切関係ありません。
クリスチャンの最大の疑問
なぜ教会は分裂し続けているのか?
キリストはただ一つの教会を建てられました。しかし、今日のキリスト教会を見ると、無数の宗派や教派が存在し、それぞれ異なる教えや伝統を持っています。では、なぜ教会はここまで分裂してしまったのでしょうか?