前回のメッセージでは集会の原則を述べました。集会とは何か? – 聖書が示す集会の原則 – 初信者シリーズ16 この記事では、集会の実行について交わります。わたしたちが見たところによれば、聖書にはおよそ四種類の異なった集会があります。
- 福音を伝える集会
- パンさきの集会
- 祈りの集会
- メッセージを聞く集会
聖書から、当初の使徒の時代にはだいたい四種類の異なる集会があったことを知ることができます。今日、教会が強くなるためには、これらの集会の実行が必要です。それぞれの集会でわたしたちはみなどのように集まればよいかを学ぶ必要があります。
※ これらの4つの集会をひとつひとつ記事にしていきます。
Ⅰ. 福音を伝える集会
福音書においても使徒行伝においても、教会の当初の歴史の中でも、福音を伝える集会はとても重要な集会でした。第三世紀、第四世紀になって、教会が堕落した後、福音を伝える集会は徐々にその地位を失っていき、メッセージを聞く集会がそれに取って代わるようになりました。教会が強くなるためには、やはり福音を伝える集会の地位が回復されなければなりません。
教会が地上に存在するのは、それ自身を建て上げるためだけではなく、人にキリストを認識させるためでもあります。ですから、教会が内側で成就されることについて言えば、福音を伝える賜物は最後に置かれてもいいかのようです。しかし、教会が外に向かって発展するときには、福音を伝える賜物は第一に使われる賜物です。使徒行伝第8章でピリポがサマリヤに行ったのが、一つの根拠です。神はまず福音を伝える人を遣わして出て行かせ、彼らの賜物を活用させて、人を得、主に帰させました。ですから、わたしたちはいつもメッセージを聞くばかりという習慣を改めて、福音を伝える集会を重く見なければなりません。
もし兄弟姉妹が主を信じ、すぐに福音を伝えることを学ぶなら、いつもメッセージを聞くばかりで福音を伝える習慣がないということにはならないでしょう。福音を伝える集会では、わたしたちは自発的に活動する必要があり、他の人が救われても救われなくてもかまわずに座って聞くだけであってはなりません。
この福音を伝える集会は、全教会が働く集会であり、兄弟姉妹全員に責任があります。みなが前もって多くの祈りをし、比較的成長した、比較的賜物のある兄弟たちが立ち上がって福音の語り手となり、その他の兄弟姉妹は心を合わせて、語る兄弟たちのために祈り、彼らが力強く福音を述べ伝えることができるようにします。福音の語り手となる兄弟は二人あるいは三人でもいいでしょうが、三人以上になると多すぎて混乱しやすいでしょう。
Ⅱ. どのように実行するか
兄弟姉妹一人一人は、どのように福音を伝える集会に集まればよいでしょうか?
第一に、福音はあなたが聞くために伝えられるのではなく、信じていない人が聞くためであることをはっきりと認識しなければなりません。あなたは絶対に、傍観的で、冷淡な、非協力的な態度で集会に来てはいけません。話がうまいとか下手とかにこだわってはいけません。あなたの態度は、人を救うために協力するものでなければなりません。
第二に、すべての兄弟姉妹が出席するのが最も好ましいです。自分はもう救われているから福音集会に行く必要はないなどとは、決して考えてはいけません。集会には、福音を聞きに行くのではなく、何かをなしに行くのです。
第三に、福音集会のたびごとに、必ず人を連れて行かなければなりません。集会の前に、友人や親戚の所に行って彼らを誘っておきます。数日前、あるいは一週間、二週間前にあらかじめ行って、約束します。
第四に、人を連れて行ったら、必ずその人を集会の中で顧みなければなりません。
A. 彼の隣に座る
未信者が集会所に着いたら、その人はどこに座ったらいいのかわかりません。ですから、彼に教えてあげます。一人を連れて来たなら、あなたは彼の隣に座ります。二人を連れて来たなら、あなたは彼らの間に座ります。三、四人連れて来たなら、右に一人、左に一人か二人座ってもらいます。四人より多く顧みてはいけません。その時は、他の兄弟姉妹に顧みてもらいます。
B. 聖書の節や詩歌を探し、用語を解釈する
あなたは福音を聞く人と一緒に座っている時、多くの事柄をなすべきです。壇上で聖書が読まれている時、彼に代わって聖書の節を探してあげるべきです。福音を語る人が特別な名詞や言葉を語って解釈しない時、あなたはそれがどういう意味かを小声で彼に教えてあげなければなりません。あなたは隣にいて、福音の及ばないところを補う必要があります。
ある時、一人の兄弟が福音を伝える際、聴衆はとても多かったのですが、彼は「イスラエル人が出エジプトした事をみなさんはご存じでしょう」と話し出しました。別の兄弟がそばに行って彼に、この人たちはイスラエル人もエジプトも知らないことを告げました。この事は、壇上の兄弟は、未信者が聞いてわからないような話はしないのが一番良いということを見せています。それと同時に、座っている兄弟姉妹も、もしこのような状況に出くわしたなら、福音を聞きに来た人にごく簡単に解釈を付け加えて助けてあげなければなりません。「イスラエル人とはユダヤ人のことであり、エジプトは一つの国で、彼らはエジプトで奴隷になっていて、後になって出てきたのですよ」。
あなたはまた彼に詩歌を開いてあげます。多くの詩歌には、折り返しがあって、繰り返し歌うようになっていますから、それを導いてあげます。
C. 彼の反応に注意して彼のために祈る
さらに、主の御前での彼の反応がどうであるかに注意しなければなりません。壇上の兄弟が福音を伝えている際、もし隣に座っている人の反応が悪ければ、「主よ、彼の心を柔らかくしてください」とひそかに祈ったらよいでしょう。あるいは、この人は高ぶっていると感じたなら、「主よ、彼の高ぶりを打ち破ってください」と祈ればよいでしょう。教会が福音をうまく伝えられるかどうかは、すべての兄弟姉妹の状況にかかっています。もし兄弟姉妹が全員参加し、全員が動くなら、福音には道があります。
あなたは連れてきた人の状態についてはっきりするために、目を注いで注意し、彼のために祈りましょう、「主よ、彼の心を動かしてください。主よ、彼が理解できるようにしてください。主よ、彼を感動させてください。主よ、彼の高ぶりを取り除いて、聞けるようにしてください」。時にはあなたは、メッセージをする兄弟がこのような話をしてくれたらよいのにとか、あのようなことを言ってくれたらよいのにと感じるでしょう。その時には次のように祈ればよいでしょう、「主よ、壇上の兄弟がこの人の必要のためにこのような言葉を語れますように」。あなたは祈りによって隣の人を顧み、集会を支えます。これは重要なことです。
D. 彼が主を受け入れるのを助ける
あなたは彼が感動していると感じた時、彼が主を受け入れるように助けなければなりません。祈りをもって主の言葉を彼の心の中に送り込み、祈りをもって主の言葉を送り込んで彼の心を捕らえるのです、「主よ、この言葉を彼に聞き取らせてください。主よ、この言葉が強く彼の内側に入りますように。主よ、この言葉が光を発して、彼が見えるようにしてください」。
福音を語る兄弟がメッセージを締めくくっている時、彼を励まして言います、「この機会を逃さないでください。あなたが主を受け入れることを望みます」。彼はすでに感動しているのに、依然としてためらって決めかねている時、あなたは彼を少し助けてあげる必要があります。時にはわたしたちは人に勧めようとせず、サタンが妨げるに任せてしまいますが、それは駄目です。サタンは人の心の中で主を受け入れるのを邪魔しますが、わたしたちは人が心から主を信じるように押し出す必要があります。わたしたちは集会において、彼が救われるように助けなければなりません。壇上にいる兄弟が人に主を受け入れるように勧め励ましている時、この人の状況を見て、少しでも感動しているようなら、あなたは彼に働きかけて言います、「あなたは今、主を信じ受け入れるべきです。今、受け入れないなら永遠に苦しみますよ」。話す時、態度は厳粛で丁寧であってこそ、効果があります。
どうか一つの原則を覚えておいてください。わたしたちは人を救おうとする時、この人は救われるかどうかとか、この人は神が救いにあらかじめ定められた人かどうかなどと分析してはいけません。わたしたちはひたすら彼が救われることを願うのです。わたしたちは彼を主の御前にもたらさなければなりません。彼が救われなくても、決して手を放してはなりません。
E. 彼を導いて一緒に祈る
ここまできても、することはまだ全部終わっていません。さらに彼を導いて、一緒に祈る必要があります。あなた一人では力が足りないなら、別の兄弟か姉妹に手伝ってもらって祈ります。決していい加減に事を済ませてはいけません。平安を感じるところまで共に祈ってから、彼を見送ります。
F. 彼が救われるまで兄弟姉妹と共に訪問する
彼が家に帰った後、一回目に兄弟姉妹と共に彼を訪問するのはあなたの役目です。教会が人に訪問をお願いする時、あなたは組み合わされて、兄弟あるいは姉妹を連れて彼と話しをしに行きます。ある人は一回福音を聞いただけでは不十分であって、二回、三回と勧めなければなりません。この人が救われるまでずっと続けるのです。
わたしたちが回復に道を歩み、福音集会を一つの重要な集会とするよう、神が導いてくださいますように。この集会の中で、すべての兄弟姉妹になすべきことがあり、一人一人が生きており、各自がでたらめでなく、それぞれが自発的でなければなりません。このような状況になったら、ある日、教会の状態は大いに好転し、福音集会は全教会の働きの集会となります。
もしある地方の教会の人数があまり多くなければ、集会の状況はもっと簡単ですから、必ずしも前述のような細則にしたがう必要はありません。しかし、原則的には、各兄弟姉妹が福音集会を重んじて、この集会の中で一人一人が責任を担い、各自が自発的であり、心を合わせて福音を盛り上げ、人が救われるように導かなければなりません。
参考資料
ウォッチマン・ニー全集 第三期 第四十九巻 初信者を成就するメッセージ(一)第十三編
出版元:日本福音書房
※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していなければすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」