福音集会とパンさき集会はどちらも重要ですが、祈りの集会もまた重要です。各種の集会には、それぞれ特有の性質と地位があります。祈りの集会は易しいと言えば易しいのですが、難しいと言えば確かに難しいのです。初信者の兄弟姉妹にはやはり多少の学びが必要です。

Ⅰ. 祈りの集会

祈りの集会において知るべきことは、大きく五つあります。第一に、一つ心で祈ること。第二に、祈りが専一であること。第三に、祈りが真実であること。第四に、短く祈ること。第五に、個人の祈りを越える祈りをしないことです。ひとつひとつ見ていきましょう。

A. 一つ心で祈る

兄弟姉妹が一緒に集まって祈るには、一つの基本的な要求があります。それは一つ心でなければならないということです。マタイによる福音書第18章で主はわたしたちに、調和一致するようにと、すなわち、一つ心であるようにと言われました。使徒行伝第1章の祈りも、一つ心の祈りでした。ですから、祈りの集会の第一の条件は、一つ心であることです。各自が異なった思いで祈りの集会に来ることはできません。祈りの集会に来るなら、一つ心で求めなければなりません。

次の一句はとても重要です。「あなたがたのうちの二人が求めるどんな事でも、地上で調和一致するなら、それは天におられるわたしの父によって成就される」(マタイ18:19)。「調和一致する」のギリシャ語の意味は、音楽の和音を指しているものです。例えば、三人いて、一人はピアノを弾き、一人はバイオリンを弾き、一人が笛を吹くとします。この三人が合奏する時、もし一人が調和しない音を出したら、聴いている人はうるさく感じます。主はわたしたちに、異なる音色をもってではなく、調和して祈ってほしいのです。もし調和することができたなら、何を求めようとも神はわたしたちのために成就してくださいます。地上で縛るものはすべて天で縛られていたものであり、地上で解くものはすべて天で解かれていたものです。基本的な条件は調和にあります。ですから、神の御前で調和することを学ばなければなりません。各自がそれぞれの思いを持って、求めるのではありません。

B. 専一である

どのようにすれば祈りは調和するのでしょうか?祈りの集会における最大の問題は、おそらく項目が多すぎることでしょう。祈りの集会で項目が多くなると、調和することができません。ある祈りの集会の項目は多くて、すべてを含む集会になってしまいます。しかし、聖書の中にこのような集会を見いだすことはできません。聖書の中に見るのは、もっぱら一つの事のために祈るものです。ペテロが獄中に監禁されていた時、教会は熱心に祈りました(使徒12:5)。彼らは多くの事柄を祈ったのではなく、ただ一つの事のために祈っていました。項目が特定していれば、祈りは調和しやすいのです。

毎回の祈りの集会で最も良いのは、一つの事のために祈ることです。一人の兄弟または姉妹のためにもっぱら祈るのです。あるいは、兄弟姉妹の病のために祈るのです。わたしたちは一人の兄弟の病のために祈り、あるいは一人の姉妹の病のために祈り、兄弟姉妹の病のためだけに祈るほうがよいのです。病以外の主題を持ち出さないほうがよいのです。別の時には、欠乏している兄弟姉妹のためにもっぱら祈るのです。あるいは、霊的に弱っている兄弟姉妹のためにもっぱら祈るのです。項目を一つにしたほうが、心を合わせやすいでしょう。

一つの項目を祈り通した後に、なお時間があるなら、別の一つの事を取り出して祈ってもよいでしょう。しかし、祈り始める否や、いくつかの項目を取り出してはいけません。項目が多くなると混乱します。責任の兄弟は、一つの時に一つの事を取り出せばよいのです。後で時間があったら、別の事を取り出します。一つの時間に一つの事を祈るのです。項目が簡単であることが、祈りの集会の最大の必要です。

使徒行伝第1章と第2章で見るように、祈りに力があったのでペンテコステが生み出されたのです。十字架は神の御子が成し遂げられたみわざであり、ペンテコステは神の子たちの祈りが成就した働きでした。これほど大きな事がどのようにして成ったのでしょう?それは一つ心の祈りを通してやって来ました。ですから、わたしたちは専一な項目で祈ることを学びましょう。

専一であるためには、祈りの集会に行く人は各自相当の準備をしなければなりません。祈りの項目は早く兄弟姉妹に知らせる必要があります。できる限り早く知らせて、彼らに先に負担を持ってもらい、その後、全員が一緒に集まって祈るのです。まず感覚と負担を持ち、それから集まって祈るのです。

C. 真実である

もう一つの基本的な必要は、祈りは真実でなければならないことです。祈りの集会での祈りは、おそらく少なからぬ言葉が虚偽です。多くの人は、祈りの言葉が体裁がよいか悪いかを重視して、神が聞かれるか聞かれないかを重視しません。それはまるで神が聞かれなくてもかまわないとしているかのようです。その結果、祈りの集会の祈りは、しばしばとりつくろったものとなっており、空虚な言葉になっています。

真の祈りは、心の中から出て来た切なる願いであり、わたしたちの全存在の深みから流れ出たものです。真の祈りは、軽々しく、耳障りの良い言葉にすぎない祈りではありません。心の深みから流れ出た真実の言葉だけが、真の祈りです。わたしたちの祈りは、神が聞かれるか聞かれないかに注意すべきであって、兄弟姉妹の前に聞こえが良いかどうかに注意すべきではありません。

もしわたしたちが祈りにおいて十分に真実でないなら、教会が強くなることは望めません。教会が強くなるためには、祈りの集会が強められる必要があります。祈りの集会が強くなるためには、すべての祈りが真実であるべきであり、虚偽であってはなりません。虚偽であれば、わたしたちは神の御前で何も得ることはできません。

祈りはメッセージではありません。祈りは演説ではありません。祈りはわたしたちが神の御前に行って求めることです。ですから、祈りの集会においてわたしたちは、神の御前で、まるで神がそのことをご存知でないかのように、詳しく説明したり、報告したり、長たらしい言葉を並べ立てる必要はありません。祈りは、わたしたち自身に必要があり、わたしたち自身に弱さがあるので、祈りによって霊的な供給を得、霊的な力を得ることです。ですから、あなたの内側で必要をどれだけ感じているかが、真実な祈りをどれだけすることができるかになります。もしあなたが必要を感じていないのでしたら、あなたの祈りは偽りの祈りになってしまいます。

偽りの祈りを生む基本的な原因は、祈る人が祈りの集会の中で他の人を忘れることができないことにあります。他の人に注意すると、彼の祈りは偽りのものになってしまいやすいのです。祈りの集会では、一面あなたの祈りは集会の祈りを代表しますが、もう一面であなたは神の御前に単独でいるかのように、あなたの必要にしたがって真実に神の御前で祈り求めなければなりません。

D. 短く祈る

祈りは真実であるだけでなく、短くなければなりません。聖書の中の祈りはたいてい短いです。マタイによる福音書第6章で主が教えられた祈りは、かなり短いです。ヨハネによる福音書第17章で主が世を去る前にされた祈りは相当長いものですが、今日のある神の子たちの祈りに比べればずっと短いです。使徒行伝第4章の祈りは全教会が祈っているものですが、それも相当短いです。エペソ人への手紙第1章の祈りは、とても重要な祈りですが、それもかなり短く、おそらく三分足らずで祈り終えるでしょう。

祈りの集会で多くの祈りがむなしく虚偽なものとなるのは、あまりに長すぎるためです。二、三句だけが神に聞いていただくものであり、残りの全部は兄弟姉妹に聞かせるために言葉を引き延ばしているのです。初信者の兄弟姉妹は、もし主を信じて長年経っている兄弟姉妹の祈りが長ければ、長いままにしておきなさい。しかし、あなたは短く祈らなければなりません。すべての兄弟姉妹が長い祈りをすることができるわけではありません。祈りが長いと、いつも教会にとても大きな損失を被らせます。

E. あなたの個人の祈りを越える祈りをしない

集会での祈りにもう一つの原則があります。それはあなたの個人の祈りを越える祈りを絶対にしてはならないということです。これはとても良い原則です。あなたが個人で祈るのと同じように、集会でもそのように祈ります。もちろん集会での祈りには少し変化があり、個人での祈りと全く同じではないでしょう。しかし、あなた個人の祈りを超えてはいけません。個人の祈りの言葉と集会での祈りの言葉は、ほぼ同じでなければなりません。集会に行って祈る時、もし個人の祈りでは言わない言葉を用いるのなら、それは偽りの祈りになってしまいます。

何かを成就することについて言えば、集会での祈りは個人の祈りより強いものです。神は個人の祈りに答えられるよりも、集会の祈りに答えられます。しかし今日、個人の祈りに対する答えが集会の祈りに対する答えより多いのは、集会の祈りの中には多くの偽りがあって、多くの空虚な言葉がその中にあるからです。実は、集会の祈りの答えは、個人の祈りの答えよりも多くなるはずです。もし神の子たちが一緒に集まって、全員が簡単で、専一で、真実で、一つ心で神の御前に求めるなら、もっと多くの答えを得るでしょう。

これらの5つの点が、祈りの集会で特に心に留めておくべきことです。

参考資料

ウォッチマン・ニー全集 第三期 第四十九巻 初信者を成就するメッセージ(一)第十三編
出版元:日本福音書房

※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していなければすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」

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