「キリストの教会歴史を知りたい」と思ったあなたへ。
わたしたちが学ぶ教会史といえば、「ローマ・カトリックの成立」「宗教改革」「プロテスタントの発展」などが思い浮かびます。しかし、それらの出来事の背後には、もっと深い霊的な視点 があります。真の教会歴史とは、単なる宗派の変遷ではなく、神が堕落した教会を回復し続けている歴史なのです。 これを「主の回復」と呼びます。
「回復」とは、失われたものを取り戻し、元の正常な状態に戻すことを意味します。では、教会は何を失ったのでしょうか?それは 神が本来望まれた教会の姿 です。
初代教会は聖霊によって生み出され、キリストのからだとして機能していました。しかし、歴史が進むにつれ、人間の考え、伝統、権力が入り込み、教会は徐々に神の御心から逸れてしまいました。表面的には繁栄しているように見えても、本質を失ってしまったのです。これが 教会の堕落 です。
しかし、神はこのままにはされませんでした。ある時代には個人を、またある時代にはグループを用いて、少しずつ失われたものを回復してこられました。この回復の働きは単なる過去の出来事ではなく、今も続いている神の働き なのです。
では、神は今、何をされているのでしょうか?もしあなたが 「神の現在の働きを知りたい」 と思うなら、まず教会の歴史を正しく知ることが必要です。教会歴史を学ぶことは、単なる知識の習得ではありません。それは、神の御心がどのように進められてきたのかを理解し、今の時代において私たちがどこに立っているのかを知ること です。
あなたが「教会歴史を知りたい」と思ったのは、もしかすると、こういった疑問を持ったからではないでしょうか?
- 本当の教会の姿とは何か?
- なぜキリスト教にはこんなに多くの宗派があるのか?
- 今、自分の信仰は神の御心の中にあるのか?
これらの問いに答えるために、「神の回復の視点から見た教会の歴史」 を詳しくたどっていきましょう。
この記事では、教会の誕生から、堕落、回復の歴史を辿り、主の回復のために各時代に神が用いられた人々と、回復された真理を見ていきたいと思います。
Ⅰ. 初期の教会(1世紀):神の回復の出発点
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A. イエス・キリストの贖いと聖霊の降臨による教会の誕生(AD30-33)
主イエスは、十字架で人類の罪の贖いを完成し、復活して弟子たちにご自身を「聖なる息」として吹き込みました(ヨハネ20:22)。そして、ペンテコステの日に聖霊が降り、エルサレムにおいて地上に初めて教会が誕生しました(使徒1:8-14、使徒2:42-47)。これが教会の始まりです。
B. 使徒による教会の確立と拡大(AD33-65)
神は使徒たちを遣わし、教会を建造する働きを行われました。使徒ペテロの務めを通じて福音はユダヤ人に、使徒パウロの務めで福音は異邦人世界に広がりました。この務めにより全世界へと教会は広がりました。この務めの中で神はパウロに「神のエコノミー」(コロサイ1:25)を啓示しました。パウロが宣べ伝えた福音は「キリストと教会(召会)」についてであり、キリストのからだである教会の建造を宣べ伝えることが彼の務めの負担でした。
C. 異端の侵入による教会の堕落(AD65-)
しかし、教会は初期から異なる教えや分裂に直面しました。パウロはテモテに「ある人たちが異なる事を教えたりすることがないように」と命じました(Ⅰテモテ1:3-4)。教会の中に異端やグノーシス主義などの異なる教えが侵入したことにより、多くの聖徒たちが惑わされ、「使徒たちの教え」(使徒2:42)から離れ去っていきました。この「使徒たちの教え」とは異なる教えにより、教会は腐敗させられ、堕落し始めました。
D. 使徒ヨハネによる真理の修復(AD90-95)
異端や異なる教えは教会の中に蔓延し、教会は衰退と堕落の一歩を辿りました。一世紀の最期、神は使徒ヨハネを通して教会の破れ目を繕うために、ヨハネによる福音書、ヨハネの手紙、啓示録を書きました。繕うとは、壊れたものや傷ついたものを修理したり補修したりすることです。ヨハネは網を繕っている時に主イエスに召されました(マタイ4:21)。しかし、教会の衰退と堕落は止まることなく悪化の一歩を辿りました。
Ⅱ. 中世の時代(5〜15世紀)
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A. 教会の堕落と暗黒時代の到来
476年に西ローマ帝国が崩壊し、中世が始まります。この時代はキリスト教歴史において「暗黒時代」とも呼ばれ、聖書は一般の民から閉ざされ、神の言葉の光が封じられました。ローマ・カトリック教会が権力を持ち、神の意図から逸脱した形で宗教的権威を振るいました。初代教会にあった霊的生命は失われました。この教会の堕落による暗黒時代は約1000年間続きました。この暗黒とは、神の光、神の介入、神の回復の働きがなかったということを意味します。
Ⅲ. 宗教改革(16世紀)
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A. マルティン・ルターと聖書の回復
教会の歴史を辿れば、主の回復の始まりは十六世紀の宗教改革に行き着きます。それは、今から500年前の出来事です。1517年、ルターは「95カ条の論題」を発表し、カトリック教会の堕落や贖宥状(免罪符)の乱用を批判しました。これが宗教改革の始まりです。
ルターは「聖書のみ(Sola Scriptura)」「信仰のみ(Sola Fide)」という原則を掲げ、神と人との関係において教会や聖職者を介する必要がないことを強調しました。ルターは「信仰による義認」の真理を回復し、聖書を一般の人々が読めるようにドイツ語に翻訳しました。しかし、ルターの改革は完全ではありませんでした。教会生活の回復は成し遂げられず、彼は国家教会を取り入れたことで教会に政治的影響をもたらしました。
それでも、教会歴史を遡るならば、この時に主の回復の働きがあったことを見いだすことができます。ルターが提唱した、「聖書のみ」「信仰義認」「万人祭司」は、確かに主の御心であり、主が成された働きでした。
1. 回復された要素(16世紀)
ルターは以下の三項目の回復に寄与しました。
- 信者の信仰による義認。
- 聖書が信仰の唯一の基準であること(聖書中心主義)。
- 万人祭司の教え:全ての信者が神の御前に直接立つことができる。
Ⅳ. 更なる回復(17〜18世紀)
ルターの宗教改革以来、神はあらゆる国で、あらゆる人々を用いて、主の回復の働きを行われました。
A. 敬虔主義
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敬虔主義(Pietism)は、十七世紀後半から十八世紀にかけて、ドイツを中心に展開された宗教改革後の運動であり、形式的な信仰に対する反発から生まれました。ルター派の伝統的な教会が教義重視に傾き、信仰が形式的になっていたことに不満を抱いた人々が、より内面的で実践的な信仰生活を求めたことが背景にあります。聖書の教えを生活の中で実践することで、信者が霊的に成熟することを目指しました。
B. 奥義派
奥義派(Mystics)とは、神との親密な交わりやキリストの内なる命の経験を強調した人たちです。彼らは、外面的な儀式や教義よりも、内面的で霊的な体験を重視しました。十七世紀に活躍したガイオン夫人(Madame Guyon)、フランソワ・フェネロン(François Fénelon)、ブラザー・ローレンス(Brother Lawrence)は、この霊的運動の代表者として知られ、神の臨在の意識や絶え間ない祈りを実践しました。
C. メソジスト運動
メソジスト運動(Methodism)は、十八世紀にイギリスで始まり、後に世界中に広がったプロテスタントの運動です。中心人物はジョン・ウェスレー(John Wesley, 1703-1791)であり、彼の弟チャールズ・ウェスレー(Charles Wesley)も賛美歌作家として重要な役割を果たしました。この運動は、個人の聖化(Sanctification)と信仰の実践を強調し、形式的な信仰を超えて具体的な生活の中でキリスト教信仰を表現することを目指しました。
D. モラビアン兄弟団
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ニコラウス・ルートヴィヒ・フォン・ジンゼンドルフ伯爵(Nikolaus Ludwig von Zinzendorf, 1700-1760)は、十八世紀のモラビア兄弟団(Moravian Brethren)の指導者であり、彼の影響で教会生活の一部の回復が進みました。ジンゼンドルフの働きは、教理の違いを超えた一を実践しました。彼らは聖霊の注ぎを経験し、教会史上最も力強いリバイバルを引き起こしました。彼が導いた運動はキリスト教の歴史に深い霊的影響を与えました。
1. 回復された要素(17〜18世紀)
- 信者の聖化と霊的成長
- 内なる命の回復
- 霊的生命と教会の一致の回復
- 個人的な体験としての神との交わり。
- 敬虔な生活
Ⅴ. ブレザレン運動(19世紀)
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A. 教会と天の召し
ブレザレン運動(The Brethren Movement)は、十九世紀初頭にジョン・ネルソン・ダービー(John Nelson Darby)などによって始まりました。この運動は、教派による分裂を避け、初代教会のシンプルな形での集会を目指しました。すべての信者が平等に奉仕する教会生活を理想としました。聖書に基づいて、「すべての信者が祭司である(万人祭司)」という考えに基づき、牧師や聖職者という階級を廃し、すべての信者が奉仕の役割を担いました。ブレザレンは、教会は人間の組織に依存するべきではなく、聖霊の導きに基づいて存在するべきとしました。この運動は、今日の福音派神学に多大な影響を与えています。真理の回復の90%はブラザレン運動によってもたらされたと言われています。
1. 回復された要素(19世紀)
- 地方教会という概念の萌芽。
- 教会の一致:キリストのからだとしての教会を再確認。
- 初代教会の単純な集会の形
B. ブラザレンの分裂
ブラザレン運動は、すべての信者が平等に奉仕することを重視し、教会生活において教理を厳格にするよりも、キリストにある一致を目指しました。しかし、やがて一部の指導者たちの間で教理と交わりに対する厳格な姿勢が強まり、オープン派とエクスクルーシブ派という形で分裂しました。ここでも、主の回復が完全に行われなかったことを見ることができます。
Ⅵ. 内なる命のさらなる回復と働き(20世紀)
20世紀に入ると、キリスト教会において「キリストを命として経験する」ことが、さらに深く追求されるようになりました。アンドリュー・マーレー、ジェシー・ペンルイス、T・オースティン・スパークスといった霊的指導者たちは、「命としてのキリスト」を深く探求し、十字架の経験や霊的戦いの教えを発展させました。また中国のウォッチマン・ニーとウィットネス・リーは、神のエコノミー、キリストと召会(教会)に関する真理を回復しました。
A. 霊的探究を求めた指導者たち
1. アンドリュー・マーレー(1828-1917)
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マーレーは、キリストに全く依存する生活と祈りの重要性を強調しました。彼の多くの著書は、信者が日常生活の中でキリストを命として経験するための実践的な教えを説きました。
2. ジェシー・ペンルイス(1861-1927)
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ペンルイスは、十字架の経験と霊的戦いに焦点を当てました。彼女は、信者が自己を否定し、霊的な戦いに勝利するためには、十字架を深く経験する必要があると説きました。
3. T・オースティン・スパークス(1888-1971)
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スパークスは、キリストの命の働きを通じて信者が霊的に成長し、教会が建造されることを教えました。彼の教えは、キリストの豊かさを経験することに重点を置いています。
Ⅶ. 中国における「主の回復」
中国は異邦の地であり、多くの信者はいませんでしたが、召会に関して複雑ではありませんでした。このゆえに、主は中国において彼の回復を開始することができたのです。こうして、中国において主の回復が始まりました。
A. キリストのからだの生活を実行
1. ウォッチマン・ニー(1903-1972)
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ウォッチマン・ニー(Watchman Nee, 1903-1972)は、中国で初代教会の純粋な教えと教会生活の回復を追求しました。彼はキリストの命を享受すること、信者が神の命に生きる教会生活を実践しました。ウォッチマン・ニーは地方教会のビジョンを受け、各都市ごとに「地方教会」を設立し、その地域の信者が一つの教会として集まる、地方教会の真理を回復しました。
2. ウィットネス・リー(1905-1997)
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ウォッチマン・ニーの働きを引き継いだウィットネス・リー(Witness Lee, 1905-1997)は、ニーの教えを台湾、そしてアメリカをはじめとする世界各地に拡大しました。リーは「地方教会」を確立し、神のエコノミーの啓示をさらに発展させました。ウィットネス・リーは、ウォッチマン・ニーの地方教会の真理を引き継ぎ、正当な教会生活、クリスチャン生活の真理を確立しました。
3. 回復された要素(20世紀)
- キリストを命と経験する
- 地方ごとの教会生活(地方教会)。
- キリストのからだとしての教会生活。
- 神のエコノミー:神の計画のもと、信者が神の命を分与すること。
Ⅷ. 現在の主の回復(21世紀)
現在の主の回復は、次の三つの要素を軸に進んでいます。それは、すべてのすべてであるキリストの回復、キリストのからだの一の回復、そしてキリストのからだのすべての肢体の機能の回復です。これらは、キリストの豊かさを享受することを通して、信者たちが正当な教会生活を送り、キリストの花嫁を整え、主の来臨を迎えるための準備の歩みです。
1. すべてのすべてであるキリストの回復
すべてのすべてであるキリストの回復とは、信者たちが日常生活の中でキリストを命として享受し、キリストをすべてとする生活を回復することを意味します。これは、教義や形式にとどまらず、キリストが私たちの内側で実際に働かれることを経験することです。
2. キリストのからだの一の回復
キリストのからだの一の回復は、教会が地域ごとの地方教会の立場で一致し、すべての信者が分け隔てなく一つになることを目指すものです。
3. キリストのからだのすべての肢体の機能の回復
キリストのからだの肢体の機能の回復とは、教会においてすべての信者が霊的な機能を発揮し、からだ全体が建て上げられることを指します。これは、牧師や特定の指導者だけが奉仕するのではなく、全ての信者が神聖な命を分かち合い、互いに仕えることを意味します。
Ⅸ. まとめ:主の召しに応答する
私たちは、主の回復の中で、キリストの計り知れない豊富を享受し、その命を通じて教会生活を実践する者たちです。私たちの目標は、伝統や習慣に縛られることなく、神の当初の意図に従った教会生活を回復することです。この回復の働きは、歴史を通じて続いてきたものであり、最終的には新エルサレムにおいて完成します。
わたしたちは、キリストのからだの一を表現するために地方の合一の立場に立ち、神の純粋な言葉に基づいて教会生活を実行する使命が与えられています。神が進めておられるこの回復の中で、わたしたちはキリストの命を豊かに享受し、神の栄光のために一を保ちながら歩んでいます。最終的な目的は、終末においてキリストの花嫁としての教会が整えられ、神の目的が完全に成就することです。
以下の記事では、ダイジェスト版で書かれた内容を各時代ごとにさらに詳しく書かれています。PART 1から順番に読み進めてみてください!
【全10記事】教科書には載らない教会歴史
【PART5】モラビア兄弟団による教会生活の開始(18世紀)
【PART6】ブラザレンによる回復された教会生活(19世紀)
【ダイジェスト版】教科書には載らない教会歴史
参考資料
・召会と地方召会の歴史 ウィットネス・リー著
・召会の行程 ウィットネス・リー著
・ウィットネス・リー全集 1981年第二巻(上)「主の回復の歴史と啓示 第一巻」
・「回復訳聖書 フットノート」ウィットネス・リー著
出版元:日本福音書房
※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していなければすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」