前回まで私たちは、「いつも主にあって喜びなさい」という神の命令と、その喜びが環境ではなく、私たちの近くにおられる主ご自身から来ることを学びました。また、思い煩いは喜びを奪う重荷であり、祈りと願い、感謝をもって神に委ねることによって解放されることも見てきました。今回の箇所は、その実践をさらに深く示します。神は、私たちが良いものを携えて来ることを求めておられるのではなく、むしろ思い煩いそのものを持って来るよう招いておられます。罪を十字架で担われた主は、人生のあらゆる重荷も担うことのできる方です。本章は、思い煩いを明け渡した者に与えられる「神の平安」という驚くべき結果へと、私たちを導いていきます。

Ⅰ . 思い煩いを担われる神

A . 主はすでに担っておられる

毎回、あなたは自分の思い煩い、重荷を神に明け渡す時、喜ばないわけにはいきません。あなたがもし、自分には重荷と思い煩いがあると言うなら、主があなたの罪を十字架上で担ってくださったことを、認識しなければなりません。彼はあなたの悲しみ、困難、思い煩いを担ってくださらないでしょうか? ペテロの第一の手紙第5章7節は言います、「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです」。神はわたしたちのいっさいの思い煩いを、彼に明け渡してもらいたいのです。なぜなら、彼はわたしたちのことを心配してくださるからです。彼はわたしたちの重荷を担いたいのです。「心配」の原文は、同じ節の「思い煩い」と同じ語根です。両者は文法の形態が違うだけで、神がわたしたちの思い煩いを担い、わたしたちのために思い煩いを取ってくださることを意味します。ですから、わたしたちは思い煩ってはいけないのです! 多くの人は、喜び、贈り物、友情、その他の事柄を受けようとして招きます。彼らは他の人から得ることを期待しているのです。ところが、わたしたちの神は、わたしたちが彼に喜び、善、友情を与えるために招いておられません。神は、わたしたちが彼の御前に来て、わたしたちの思い煩いを彼に明け渡すように招いておられます。神は思い煩いを担われる神です。彼はわたしたちに、自分の重荷を彼に置くようにと招いておられます。彼にとって、これは困難ではないのです。イザヤ書第53章4節は、主イエスが「私たちの病を負い、私たちの痛みをになった」と言っています。

B . すべて労苦し重荷を負っているものは…

もしあなたが自分の身近な問題、家庭の破壊、子供が道徳的に堕落して主から離れること、事業の失敗、 姻戚間の不和、他の人の救い、神の子供たちの後退し堕落した霊的状態について心配するなら、神はあなたに、自分の思い煩いを彼に明け渡してもらいたいのです。このような状況の中で、神はあなたが彼に来ることを求めておられます。神があなたに求めておられるのは、良いものではなく、思い煩いや心配を持って来ることです。彼はあなたの思い煩いを担ってくださいます。砕かれた心、重い心、痛みのある心を持っている人はみな、神に来なさい! 今日あなたはもはや思い煩う必要はありません。これが福音です。

Ⅱ . 解放の結果ー神の平安

A . 思い煩いが突入できない護衛

あらゆることで感謝をもってささげる祈りと願いによって、自分の願い事を神に知っていただいたなら、 その結果は何でしょうか? それには最高の結果があります。ピリピ人への手紙第4章7節は言います、 「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」。「守ってくれる」の原文は、特別な軍隊用語です。わたしたちはそれを、「警備する」、あるいは「護衛する」と訳すことができます。同じ言葉がコリント人への第二の手紙第11章33節で使われています。「ダマスコではアレタ王の代官が、私を捕えようとしてダマスコの町を監視しました」。ダマスコの代官はパウロを捕らえようとして、警備兵を町の周りに配置しました。同じように、神の平安は、兵士たちが町を警備するように、わたしたちの心をパトロールし、わたしたちの心を平安のうちに守っています。いっさいの思い煩いは、この前線を突破してわたしたちの心に入って来ることができません。

神の平安がわたしたちの心をパトロールし、警備し、護衛して、すべての思い煩いが侵入しないようにしています。これは何と驚くべきことでしょう!

B . 神は思い煩らわれるか?

「神の平安」は、ほかに何があるでしょう?本来、神の創造は美しく、すばらしいものでした。ところが、天使長(彼は後ほど悪魔になりました)が罪を犯し、天使の三分の一が彼に従って、やはり罪を犯しました。地は空虚になり、混とんとしました。 神はこのことで思い煩われたでしょうか? 違います。彼は六日のうちに彼の回復の働きをなし終えて、一組の夫婦を地上に住まわせられました。ところが、彼らも罪を犯しました。神はこのことで思い煩われたでしょうか?違います。天使たちは倒れ、人も倒れましたが、神は思い煩われませんでした。神は救い主を遣わして人を救われました。わたしたちは、人が今日、罪を犯したら、神は明日、救い主を遣わして罪人を救うべきだと思います。しかし神は急がれません。時が満ちて、神は彼の御子を遣わし、一人の女から生まれさせられました(ガラテヤ4・4)。彼は数千年待たれました。彼は急がれませんでした。今日でさえ、わたしたちの観念によれば、最も良いのはすべての人を教会の中に閉じ込めることです。ところが、神は急がれません。これが神の平安です。人々が彼を攻撃し、彼に反対し、彼を拒絶しても、彼は雷やいなびかりを送って人を殺すことをされません。神は平安です。これが神の平安です。彼は多くの悪いことに遭遇されたのですが、やはりとても平安です。わたしたちに、心と思いを護衛するそのような神の平安があるなら、思い煩いはわたしたちに侵入することができるでしょうか? わたしたちの平安を取り去ることのできるものがあるでしょうか?

C . 人知をはるかに超えている平安

神は、わたしたちが感謝を伴う祈りと願いを通して、あらゆることで自分の願い事を神に知らせるようにと命じられました。神は、ご自身の平安を送って兵士のようにわたしたちの心を護衛し、あらゆる心配、 苦難、不安を追い出すと約束されました。神の平安は、実にあらゆる理解を超える平安です。それは人が理解することができず、持つことができない平安です。「人のすべての考えにまさる」という句は、人の思いも及ばないことを意味します。わたしたちがあらゆることを神に託すなら、人の理解を超えた、人が持つことのできない平安を持つでしょう。この平安はわたしたちの心と思いを護衛して、この世の海のあらゆる嵐を平安のうちに通過することができるようにします。愛する兄弟たち、あなたは神の平安を経験したことがあるでしょうか? あなたは神の平安の護衛に気づいているでしょうか? 神の平安があなたの心と思いを護衛するとはどういう意味か、ご存じでしょうか? 神に感謝します! 多くの時、圧迫があまりにも大きすぎて、逃れる道がないかのようです。思い煩いと憂いが、あなたの唯一の義務であるかのようです。あなたが自分の欲していることを、祈りと願いによって神に告げるなら、一方で感謝を伴い、 もう一方で、どのようにして思い煩うのかわからないほどに感じるでしょう。あなたは驚き、他の人はあなたの平安に驚くでしょう。これが、すべての理解を超える平安です。これが神の平安の護衛です。

7節はまた言います、「あなたがたの心と思いを・・・・・・守ってくれます」。これは、あなたの環境を保護し、守ることではなく、あなたの心を平安のうちに守ることを意味します。この文章は、「あなたがたの心と思いをイエス・キリストに属するものとする」とも訳すことができます。これは、あなたの心と思いを主に向けることを意味します。耐えられない困難や苦痛があるなら、「神よ、これをあなたの御手に託します」と言うことができます。あなたが神の命令を守るなら、神は彼の約束を成就してくださるでしょう。

D . 神に託したら感覚を待たずに信じる

かつて、わたしは通過できないような困難に出遭いました。その時、わたしはこの節を思い出し、荒野に行って祈りました。わたしは十度以上祈りましたが、やはり内側に平安がありませんでした。わたしは、 「この節は他の人に良いだけで、わたしが実行に移すのは不可能なのではないか?」と思いました。その時、 神はわたしに言われました、「わたしは、何も思い煩わないように、そうすればあなたは平安を得る、と言った。しかし今、あなたは自分には平安がないと言っている!」。わたしは飛び上がって言いました、「神よ、あなたはわたしに平安があると言われました。わたしには確かに平安があります。わたしはもう何も申しません」。わたしは神の言葉を信じた時、直ちに平安を得ました。ですから、兄弟姉妹、もしあなたが神の御言を信じないなら、平安はありません。信じなさい、そうすれば平安があります。あなたがもし平安を待ってそれから信じるのであれば、決してそれを得ないでしょう。あなたに困難や苦難があって、耐えることができないなら、神に言いなさい、「神よ、わたしはそれをあなたの御手に託します」。そうすれば、 平安を得るでしょう。「いつも喜んでいなさい」と「何も思い煩わないで」は神の命令です。「人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」は神の約束です。あなたが神の命令に従うなら、神は彼の約束を成就してくださいます。

まとめ

本章は、「何も思い煩わないで」という神の命令と、それに伴う確かな約束を力強く示しています。私たちが思い煩いを祈りと願い、そして感謝をもって神に委ねるとき、神は人の理解を超える平安をもって、私たちの心と思いを守ってくださいます。その平安は、問題を消し去るものではなく、嵐の中でも心を護衛する神の力です。神ご自身が思い煩わない方であり、その平安を私たちに分け与えてくださいます。私たちの側に求められているのは、感覚を見つめることや状況改善ではなく、神の言葉を信じて従うことです。「喜びなさい」「思い煩うな」という命令に「祈り、願い、感謝する」という出口を用いて、思い煩いを神に送ることで従うとき、神は必ず約束を成就されます。これが福音であり、クリスチャンの実際的な生活の道です。

参考書籍

「メッセージ記録(二)」ウオッチマンニー全集 第一期 第十八巻
出版元:日本福音書房

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