「すべの国民はクリスチャンになるように。」テオドシウス1世(在位:379年~395年)は、392年にキリスト教を東西ローマの国教とし、他の宗教を禁じました。411年のカルタゴ公会の規程には「原罪から解放されるべき幼児へ洗礼を授けるべきだ」との記載があり、幼児洗礼が便宜的に教会に導入され、赤ん坊や幼児に、真理を理解し受け入れる能力が未発達なのにもかかわらず、僅かな水を頭に振りかける「滴水礼」が励行されました。カトリックの実行はプロテスタント諸宗派にも受け継がれてしまい、聖書の霊的な意義と効力はうやむやになったままでした。
(以下の内容は『今の時代における神聖な啓示の先見者ウオッチマン・ニー』という書籍に記載されているウォッチーマン・ニー自叙の証しを引用しています。)
Ⅰ. バプテスマ ウオッチマン・ニーの証し
A . バプテスマの啓示
一九二一年三月に、主はわたしにバプテスマの真理を見せてくださり、宗派で実行されている滴水礼は、聖書的でないことを見ました。わたしは何週間か聖書を学んでいると、主イエスがヨルダン川でバプテスマされた時、 彼が水から出てこられたことを見たのです。ところが宗派では、人がバプテスマされる時、水を入れた小さい器を使います。それでは人は、どのようにして水から出てくることができるでしょうか? わたしは幼いころ、メソジスト教会の監督に、バプテスマしてもらいました。彼は冷たい水をわたしの頭に振り掛け、二つの大きな手でわたしの頭を押さえました。早くやってもらいたいのに、わたしは我慢できなくなって、泣き出しました。滴水礼が終わると、その監督は、バプテスマの証明書をくれました。それには、わたしの名前と、監督のサインがありました。この証明書は絶対に無意味であると、わたしは思いました。もし主のもとに来て信じていないなら、たとえ証明書を持っていても、わたしはなおもあえて何かをしようとするでしょう。幸いにも、後ほどわたしは救われて、大きな転機がありました。…
B . 母も同じ感覚
一九二二年三月二十八日の朝のことですが、母がわたしに尋ねました、「もしわたしが浸水のバプテスマを受けなければならないとしたら、あなたはどう感じますか?」。わたしは答えました、「実は、わたしも受けなければならないと思っていたのです」。母は言いました、「浸水のバプテスマを、どこへ行けば受けられますか?」。 わたしは答えました、「わたしも少し前にそのことを尋ねました。わたしたちは、福州から船で二時間ほど離れた所の馬尾へ行って、バーバー姉妹を捜しましょう。ドラ・ユーが福州に来た時、彼女はバーバー姉妹の所でパブテスマされました」。わたしたちは、いつにするか考えるより、その日に行くほうがよいと感じました。そこで、母と一緒にその日に行くことに決めました。バーバー姉妹の所に着いて、わたしたちは自分たちの来た目的を告げると、彼女は賛成してくれました。こうして、わたしたちはその日に陽談(ヤンチー)の田舎に行き、そこでバプテスマしてもらいました。
C . 友人による確証
わたしが浸水のバプテスマを受けた時、わたしの生活に大きな転機がありました。第一の事は、わたしの友人、 王載兄弟に告げたことです。彼を知るようになったのは、わたしが救われて一年の間に、わたしの家で持っていた聖書研究会を通してです。それに参加していた人たちの大半は年長で、わたしはまだ子供でしたから、同じ年齢で話し合える人はいませんでした。二、三週間の後、王兄弟がやってきました。彼はわたしの年齢と近かったので、彼との交わりが始まりました。それで浸水のバプテスマを受けた次の日、わたしは彼に言いました、「わたしは昨日、陽岐に行って、浸水のバプテスマを受けました」。すると彼は言いました。「それはすばらしい、 とても良い。以前、わたしも南京で滴水礼を受けましたが、後に廈門(アモイ)へ行って、ある兄弟に出会い、 彼はバプテスマに関する真理を話してくれました。そこでわたしも、鼓浪嶼(クーランス)で浸水のパブテスマを受けました」。わたしたち二人は、本当に喜びました。なぜならわたしたちは、同じ光を見たからです。…
参考書籍
今の時代における神聖な啓示の先見者 ウォッチマン・ニー
出版元:日本福音書房

