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職業はクリスチャンにとって非常に大事です。もし間違った職業を選んでしまえば、積極的に前進することができなくなるでしょう。ですから、クリスチャンは職業の選択に必ず注意しなければなりません。

Ⅰ. 聖書において神が按配された職業

A. 旧約時代において

神は人を創造された時、人のために職業を按配されました。神がアダムとエバに割り当てた仕事は、園の手入れと監視をすることでした。ですから職業は人が罪を犯す前にあったものです。アダムとエバの当初の職業は園丁のように、神の造られたエデンの園を手入れすることでした。

アダムとエバが罪を犯した後、地はのろわれ、彼らは額に汗してはじめてパンにありつき、地を耕してはじめて食べ物を得ました(創世記3:17-19)。このことは、人が堕落した後、神が定められた職業は農夫となって畑を耕すことであったことをはっきり見せています。今日に至るまで、農夫はだれよりも真面目であることを知ることができます。当初、神は人が畑を耕すことを定められました。

創世記第4章になると、カインは土を耕し、アベルは羊を飼っているのを見ます。今や羊を飼うことが加わりました。これは牧畜も神に喜ばれる職業であるのを見ることができます。

この後、地上に人はますます増えてきて、各種の職人が出てきます。鉄職人、銅職人、楽器を作る職人、青銅や鉄の刃物を鍛える職人が出てきます(創世記4:21-22)。バベルの塔になると、れんが職人や大工が出てきます(創世記11:3-4)。(バベルの塔の建造はあるべきではないのですが、それにしても人はそこで建造を学んでいます。ですから、鉄職人、銅職人、楽器作り、建築職人は、やはりすべて正当な職業です)。

創世記第12章になると、神はアブラハムを選ばれました。アブラハムも羊飼いでした。彼には多くの牛と多くの羊がいました。ヤコブの時になると、彼も牛の群れと羊の群れを持っていました。ですから彼らの主要な職業は牧畜であったのを見ることができます。

イスラエル人はエジプトでパロのために働いて、れんがを焼きました。しかし、彼らはエジプトを出た後、神は乳と蜜の流れる地を与えると彼らに約束されました。ここに明らかに二つの職業があります。牧畜と耕作です。神はイスラエル人に、もし神に背き、偶像を拝むなら、「わたしは・・・あなたがたの天を鉄のように、あなたがたの地を青銅のようにする。あなたがたの力はむだに費やされる」と言われました。これも、彼らのカナンの地での職業が牧畜と耕作であったことを明らかに語っています。旧約においてはこれらのいくつかの種類の職業があります。

B. 新約時代において

新約になると、マタイによる福音書で主イエスが語られたたとえの中で、耕作が一つの基本的な職業であるのを見ます。例えば、第13章に種まきのたとえがあります。また第20章には、ぶどう園のたとえがあります。ルカによる福音書第17章では、耕したり羊を飼ったりして、畑から帰って来たしもべについて言っています。ヨハネによる福音書第10章で、主は良い牧者であって、羊のために自分の命を捨てると言われましたが、これは牧畜です。ですから、牧畜と耕作は、神が人に定められた基本的な職業です。

主は十二人の使徒を召されましたが、彼らの大多数は漁師でした。人がもし取税人であれば、主はこの職業を捨てさせられました。しかし、主は漁師については、「あなたがたは以前は魚を捕っていたが、今後は魚を捕るように人間を捕る漁師にしてあげよう」と言われました。ですから漁師も受け入れられる職業です。

ルカは医者であり、パウロは天幕を作る人でした。天幕作りと漁師が異なるのは加工製造することにあります。耕作は直接的生産です。布を織ったり、裁縫したり、天幕を作ったりすることは加工製造することです。

旧約から新約まで、職業について、神はこのように按配されたということができるだけです。主の弟子たちは、農夫であるか、牧者であるか、大工であるか、漁師であるか、加工製造する者であるかでした。もう一つ加えるとしても働く人でした。(霊的な働き人を指すのではありません)。新約の中で、働き人がその報酬を受けるのは当然であるという言葉があるからです。働き人は労働する人であり、力を売る人です。労働によって報酬を得ることも聖書が許している職業です。

Ⅱ. 職業の原則

聖書によれば、神は人のためにこんなにも多くの職業を按配しておられますが、一つの基本的な原則、つまり人が得るもの、人が受け取るものは自然から来るということを見いだすことができます。人は自分の時間、自分の力を投入して報酬を得ます。これが聖書で扱われている職業の原則です。

A. 大自然から得るー豊富を増し加える

種まきが一粒の麦をまくと、やがて多くの実を結び、三十倍、六十倍、百倍にもなります。一粒が百倍になったり、六十倍になったり、三十倍になったりします。種を地に巻いて、それを生長させれば実を結びます。これは自然から供給を得ることです。自然の供給は豊富ですし、だれでも得ることができます。神は良い者の上にも悪い者の上にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らしてくださるからです。これは明らかに農業に用いられます。ですから、神の目的は人に自然の中から供給を得させることです。牧畜も同様の原則です。神が人に職業を与えられた基本原則は、わたしに得るものがあり、人に損失がないということです。これが神の按配された高尚な職業です。

B. 加工製造するー価値を増し加える

パウロの天幕作りも同様の原則です。しかし、彼は直接自然の中から取ったのではありません。魚を捕ることや牧畜や耕作は、すべて直接、大自然からの物を得ます。しかし、パウロは時間をかけて天幕を作ります。このことが物の価値を増し加えます。例えば、一枚の布がもともと一円の価値しかないとします。わたしがそれを裁断し縫製して天幕を作ると、二円になります。その価値はまし加わり、加工賃を得ます。わたしが加工賃を得たために、だれかが貧しくなるということはあり得ません。ですから神が人に与えられる職業のもう一つの基本的原則は価値を増し加えることです。

C. 労働して賃金を得る

人のために働いたり、大工をしたり、医者になったりすることにも、一つの原則があります。わたしは自分の時間を使ってお金にし、賃金を得ます。これは自然界から得るのでも、加工製造するのでもありませんが、わたしは多くの時間を割き、多くの代価を払い、多くの事をなしたので、多くの収入を得るのです。ですから働いて賃金を得ることも神が許される事です。

D. 聖書で特別に良くないとされていることー売り買いする

聖書の中で良くないと見られている職業は売り買いすることです。どうかこの事には特別に注意してください。初信者の兄弟たちは、もし他の職業を選ぶ余裕があるなら、商売はしないほうがよいでしょう。この問題は拡大してみるとはっきりします。

例えば、ここに百人の人がいて、各自が百万円を持っているとします。百人分を合わせると一億円になります。もしわたしが出て行って売り買いし、商売するなら、自然に金もうけをしてこの百万円を二百万円にしようと思うでしょう。その上、あなたがたはわたしの商売の仕方が正しいかどうかを気にとめないとします。何はともあれ、わたしは一ヶ月商売した後、二百万円にしました。あなたがたの間で必ずある人のお金は減っているでしょう。これは決まりきっています。なぜなら、百人が各自百万円を持っていて、わたしも百万円持っていたからです。わたしが最も正しい方法で商売をしたとしても、わたしのお金は二百万円になったのですから、あなたがたの中のある人のお金は減っているはずですし、ある人のお金は少なくなっているはずです。

わたしたちはクリスチャンです。クリスチャンとしてわたしがあなたがたからお金をもうけて金持ちになり、あなたがたが貧乏になったとしたら、それは良いことでしょうか?決してそうではありません。わたしたちは神の子供です。神の子供は世人を貧しくして自分のお金を増やしてはいけません。正しい方法で人から金をもうけ、信者の金をもうけても、それはすまないことです。商売するとはこういうことです。わたしは他の人の財布から自分の財布へとお金を取り上げることはできません。どんな方法を使っても、お金を人の財布から自分の財布に移し変えることは、その人に損をさせることです。

わたしたちは金もうけすることと豊富を増し加えることとは完全に異なった事であることを区別しなければなりません。神が聖書で人に与えられている基本的な職業は「豊富を増し加える」ものです。あなたがお金もうけすれば、他の人は必ず失うということを覚えておいてください。あなたのお金が増えれば、他の人のお金は減ります。これが商売の原則です。

Ⅲ. 三種類の異なる職業の中から選ぶ

ここに三種類の異なった職業を見てみます。一つは売り買いすることであり、一つは労働することであり、一つは生産することです。神が聖書の中で最高の職業と定められているのは生産する人です。アダムの時から始まって、神が特に注意しておられる職業は生産です。生産はわたしが豊富を増し加え、しかも別の人を貧しくしないものです。わたしが百匹の羊を飼えば、何年かの後には三百匹になり、四百匹になります。しかし、この増加はいかなる人の財布からお金を減少させることはありません。これが聖書における職業の基本的原則です。

パウロが天幕を作ったことは別の原則です。確かに綿や糸や布を増やしていません。しかし布は彼が裁断し縫製したために、彼が多くの時間を費やし、多くの力を投入したために、価値がまし加わりました。地の豊富を増し加えるのは良いことですし、価値を増し加えることも良いことです。ですから、初信者の兄弟たちはお金を増やす職業を選ぶべきではありません。世界の豊富を増し加え、物の価値を増し加える職業を選ぶべきです。

Ⅳ. 利益第一主義の商売をしてはいけない

クリスチャンは利益だけを追求した商売をすべきではありません。確かに主イエスも、わたしたちは彼が来られるまで商売をする必要があると言われました(ルカ19:13)。しかし、その聖書の言葉の意味は、商売するように専心して働く必要があるということです。ご存じのように商売人は非常に専心してやります。金をもうけようと思えば、どんな場所にでももぐり込みます。主の意図はあなたにもぐり込む機会があるなら、このように専心して働きなさいということです。

売り買いはツロから始まりました。そして売り買いの行き着く所はバビロンです。エゼキエル書第28章と啓示録第18章を見れば、売り買いを始めた人はツロの君であることがわかります。エゼキエル第28章が見せているように、ツロの君はサタンを代表しています。「あなたの商いが繁盛すると、あなたのうちに暴虐が満ち、あなたは罪を犯した」(口語訳 エゼキエル28:16)。このような売り買いの思想は、自分が金もうけして他の人に損をさせ、世界の財産を減少させるので、これは神が定められた職業ではありません。これはサタンの所有する職業です。

物質の数量や、物質の価値を増し加える職業はすべて神の御前に受け入れられるものです。利益だけを追求する純然たる商売は神に受け入れられるものではありません。啓示録第18章において、この世がもうすぐ終結して王国が始まろうとする時、バビロンは刑罰を受けます。商売はバビロンが終わる時まで続きます。地上のすべての商人はバビロンのために泣き悲しみます。地上のあらゆる商品の第一は金であり、最後は人の魂です。金から人の魂まで売り買いできないものは何一つありません。わたしたちクリスチャンはこの低い職業を避けなければなりません。

Ⅴ. 純然たる商売と生産業は異なっている

利益だけを追求した純然たる商売と生産業の違いを区別する必要があります。麦は売ることができます。牛や羊、天幕、魚も売ることができます。これは売り買いするとは言いません。この世でのいわゆる売り買いとは、今日わたしが人から百袋の小麦粉を買っておき、値段が高くなるのを待って売りに出すことです。これは、わたしが世の中の物を増やしていないにもかかわらず、わたしの財産は増えます。これは恥ずべきことです。

生産するために売り買いするのは結構です。しかし、ただ買ってきて売るだけではいけません。もし兄弟が種をまいて得たものを売るなら、それは良いのです。もし兄弟が米を買い込んで、それを売るなら、これは良くありません。どちらも売るのですが、原則は根本的に違います。どのような労苦もせず、また価値を増し加えていないものを売って利益を得ることは、純然たる商売です。

ですから、純然たる商売をしている兄弟は、責任兄弟となることはできません。そのような人は金銭において解き放たれていないからです。今後、わたしたちはこの道を歩めば歩むほどはっきりするでしょう。神の子供は完全に金銭の力から離れるべきです。それでこそ神に仕えることができ、教会には道があります。

Ⅵ. 神が受け入れられる職業

羊を飼う人も耕作する人も生産する人です。商売する人は別の種類の人です。もう一種類は両者の中間にあって労働する人です。医者や教師は彼らの時間を取り出します。これも聖書では良い職業です。彼らは生産しませんが、人から何も取りません。彼らは自然界から得るのでもありませんし、人から得るのでもありません。自分の時間、体力、知力に変えて必要なものを得ます。働く者が工賃を得るのは当然です。これも聖書において神が喜ばれる職業です。最高の職業は生産する職業です。その次は労働であって、知力や体力を使って報酬を得るものです。

しかしながら、わたしたちは極端な道を歩みたくありません。商売する人に対して、彼らを罪に定めたりしてはいけません。すでにその中にいる兄弟については、わたしたちは彼を顧み、彼が改めるように助けましょう。彼を困らせてはいけませんが、少なくともこの道をはっきりさせてあげましょう。

初信者の兄弟たちは労働してお金をもうけるのであって、一方で仕入れをし、一方で売り出して多くもうけるようではいけません。わたしたちの原則は豊富を増し加えるのであって、お金を増やすのではありません。もしこうであれば、入ってきたお金は清く、神にささげるお金は受け入れられます。多くの兄弟姉妹がこの原則を見ることができますように。

参考資料

ウォッチマン・ニー全集 第三期 第四十九巻 初信者を成就するメッセージ(二)第二十九編
出版元:日本福音書房

※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していない場合はすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」

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