十九世紀の主の回復の働きは主の回復の黄金期と呼ばれます。主はこの時代で、神の聖徒たちに真理に対する大きな光を与えられました。
Ⅰ. ブラザレンによる教会生活の回復
十九世紀、1825年〜1828年に、主はジョン・ネルソン・ダービーのリーダーシップでブラザレンを起こしました。D・Mパントンはブラザレンの運動とその意義は宗教改革よりもはるかに大きなものであったと言いました。宗教改革は政府との結び付きのゆえに、いくらかこの世的でした。しかし、ブラザレンの間の動きは、真に霊的なものでした。彼らは主に対する彼らの働きにおいて、どんな宣伝をすることも好みませんでした。J・N・ダービーの一枚の写真を見つけることさえ困難です。これらの信者たちが見た光は、ツィンツェンドルフやモラビア兄弟団が見たものを超えていました。ウォッチマン・ニーは、英国ブラザレンが興されたことは啓示録(ヨハネによる黙示録)における七つの手紙の中のヒラデルヒヤに在る教会の成就であると考えることができると言いました。このことは、ブラザレンの初期の状態が教会生活の完全な回復であったことを証明します。彼らは真理についての豊富な理解力と良い霊的状態を持っていました。
Ⅱ. ブラザレンの分裂
マルチン・ルターの宗教改革は、閉じられた聖書を解放しましたが、彼は聖書を解釈しませんでした。聖書を読む人々は理解するのが難しいと感じました。ブラザレンが起こされた時はじめて、聖書が解釈されました。彼らは大部分の予言と予表を解釈しました。残念なことに、彼ら自身の前例のない聖書の理解力の結果、彼らは教理に注意を払い過ぎ、それは議論という結果になりました。残念なことに、ブラザレンの黄金時代は、ほんの短期間、続いただけでした。結局、彼らの間に亀裂が生じました。最初の分裂は、J・N・ダービーとベンジャミン・ニュートンとの間に起こりました。彼らの論争は、信者たちの携え上げに関してでした。ダービーは、大患難の前に携え上げに関して強硬でしたが、ニュートンは、大患難後の携え上げに関して強硬でした。
その後、彼らの間に第二の亀裂がありました。この分裂は、いわゆる閉鎖的ブラザレンと開放的ブラザレンとの間にありました。ジョージ・ミューラーは、ブラザレンの間で導く兄弟の一人でした。彼は真の神の人でした。彼は十九世紀に信仰の王と呼ばれました。しかし、彼の理解とダービーの認識との間には、大きな食い違いがありました。ダービーと彼の追従者たちは、宗派に依然として加わっているどんなクリスチャンも、受け入れないと主張しました。彼らはすべての宗派を罪、悪と考えました。こうして、彼らの目に、ある人がどれほど善良で霊的であっても、彼が宗派にとどまっている限り、この悪の仲間であると見なされました。彼は宗派の中のクリスチャンを悪の仲間と見なし、受け入れようとしませんでした。しかしながら、ジョージ・ミューラーは、これは公正ではないと言いました。彼は、宗派にかかわりのある多くの親愛なる聖徒たちも、やはり主にとても近いと言いました。彼らは、これらの信者たちは拒絶され得ないし、彼らは受け入れられなければならないと主張しました。これがダービーとミューラーの間の食い違いでした。それはブラザレンの間に、もう一つの分裂を引き起こしました。こうして、この時までに、ブラザレンの間に三つの主要なグループがありました。すなわち、ベンジャミン・ニュートンのグループ、閉鎖的ブラザレン、開放的ブラザレンです。
この後、ブラザレンの教理的な論争が日ごとに増し加わりました。90年後、第一次世界大戦の終わりに、ブラザレンは150以上の集会に分裂しました。今日、ブラザレンは1000以上の集会があります。それらは何度も分裂しました。ブラザレンの間の分裂の始まりは、携え上げに関する不一致にありましたが、彼らに啓示された真理は、主の子供たちすべてにとって大いに益となりました。根本主義的キリスト教の神学の90%以上は、ブラザレンの教えから来たと言われています。アメリカ合衆国において、多くの根本主義の神学校は、C・I・スコフィールドの教えを用いています。スコフィールド博士は偉大な学者であり、ブラザレンの研究者でした。彼が自分の引照付き聖書や聖書通信講座で書いたもののほぼ90%は、ブラザレンの教えから採用されました。根本主義の各宗派がブラザレンの動きに同意してもしなくても、彼らの根本主義的教えは、ブラザレンの教えによって大いに影響されました。ある意味で、ブラザレンの教えはいわゆる教会を助けましたが、別の意味でこれらの教えは分裂という結果となりました。ブラザレンの間の動きは、初めのころ、実に驚くべきものでした。これは黄金時代であり、それは教会生活にとって大いなる助けでした。
Ⅲ. ブラザレンの間の回復
ブラザレンを通しての主の回復の働きは極めて強力でとても豊富でした。主は彼らを通して多くの事柄を回復されました。それは「絶対的にこの世を放棄すること」「兄弟愛」「実行上の生活」「真理」「財物をささげる」などです。
A. 絶対的にこの世を放棄する
教会歴史において、ブラザレンのように明確にこの世と断絶したグループを見ることはまれです。彼らはモラビア兄弟団よりもはるかに前進していました。モラビア兄弟団は政治と宗教組織と断絶しました。しかし、ブラザレンは政治と宗教組織だけでなく、この世も放棄しました。彼らは絶対的で明確な方法で行いました。
今日でさえ、ブラザレンの間の何人かの人たちは、決して自分の写真を撮らず、いかなる写真も人に見せるために残しておきません。さらに、ブラザレンの指導者の一人であるジョン・ネルソン・ダービーの正統な伝記を見いだすことは困難です。なぜなら彼は人々に、自分の伝記を書いたり、自分が行ったことを宣伝したりすることを許さなかったからです。教会歴史全体において、彼らはこの世を放棄することで最も徹底していました。これは単に形式ではありませんでした。彼らはこの世から分離しただけでなく、実はそれを放棄したのです。
B. 兄弟愛
次に、ブラザレンは兄弟愛の実際を回復しました。現在のわたしたちクリスチャンの状態と100年前の彼らの状態を比較するなら、わたしたちははるかに遅れています。彼らはヒラデルヒアの教会にある兄弟愛の実際を持っていました。
C. 実行上の生活
さらに、教会歴史における他のどのクリスチャングループも、主の御前での実行上の生活の事柄でブラザレンに匹敵しないでしょう。ブラザレンの実行上の生活は彼らの家族を含みました。何人かの人は、全世界の最高のクリスチャン家庭はブラザレンの人たちであると言いました。この実行上のクリスチャン生活の回復は高く、大きく、強力でした。
D. 真理
ブラザレンの間のもう一つの特別な回復は、真理の回復でした。大部分のクリスチャンはブラザレンの間の真理と啓示の回復が、それ以前のすべてを凌ぐことを認めています。ダービーは聖書解釈の王と考えられます。今日のプロテスタント主義で教えられた正統な真理は、100%近くがブラザレンによって回復された真理からです。今日プロテスタント主義で教えられている正統な事柄は、ブラザレンの教えによって影響されてきました。
ムーディーは、全世界のすべての本が焼かれても、聖書の写しとブラザレンの著者であるC・H・マッキントッシュによる「モーセ五書の注釈」の写しを持てば満足するといいました。「スコフィールド聖書研究」は今日クリスチャンの間で普及しています。それは多くの伝道者にとってなくてはならない聖書研究書です。スコフィールドがこの二冊の出版物で書いたことの九割近くが、ブラザレンんの教えから採られました。今日、聖書の正しい知識を持って神の御前に生きている人はみな、ブラザレンによって助けられたと信じます。ブラザレンに反対する人たちでさえ、彼らから助けを受けています。
E. 財物をささげる
ブラザレンによって回復されたもう一つの事は、財物をささげることです。彼らは信者たちにささげるように決して促したり求めたりしませんでした。彼らはただ神のために生き、彼らの財物を神のために用いました。財物をささげる事柄で、ブラザレンに匹敵することができるグループを見いだすことは困難です。
十九世紀の回復の開始は絶大的なものでした。しかし、その結果は分裂となり、キリストのからだを引き裂くものでした。主はキリストのからだの建造のために、二十世紀において回復の働きをもたれました。
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【全10記事】教科書には載らない教会歴史
【PART5】モラビア兄弟団による教会生活の開始(18世紀)
【PART6】ブラザレンによる回復された教会生活(19世紀)
【ダイジェスト版】教科書には載らない教会歴史
参考資料
・召会と地方召会の歴史 ウィットネス・リー著
・召会の行程 ウィットネス・リー著
・ウィットネス・リー全集 1981年第二巻(上)「主の回復の歴史と啓示 第一巻」
・「回復訳聖書 フットノート」ウィットネス・リー著
出版元:日本福音書房
※ 本記事で引用している聖句に関して、明記していなければすべて回復訳2015からの引用です。
「オンライン聖書 回復訳」