聖書・・ヨハネ二十章 一節~十八節
主イエスは復活した後、多くの人に現れましたが、最初に現れたのは、マグダラのマリヤです。主は一刻も早くペテロに現れたかったでしょう。なぜなら、ペテロはその時、弱っていたからです。…主は一刻も早くエマオへの途上にあった二人の弟子に現れたかったでしょう。なぜなら、彼らは間違った方向に向かっていたからです。…主は一刻も早くヨハネに現れたかったでしょう。なぜなら、ヨハネは彼の愛する者であったからです。…主は一刻も早くトマスに現れたかったでしょう。なぜなら、トマスは彼の復活を信じていなかったからです。ところが、主はそれよりも早くマグダラのマリヤに現れたかったのです。…
Ⅰ . 最高の分、主を愛する心
マグダラのマリヤは、最後に十字架のそばを離れました。彼女は一番早く墓に着いた者でした。マグダラのマリヤ以外に、多くの人が救われました。マグダラのマリヤ以外に、多くの人が悪霊を追い出してもらいました。しかし、マグダラのマリヤだけが、朝早く墓に来て主を捜し求めたのです。確かに、彼女は多くのことを理解していませんでした。ある人たちは、彼女は頭が良くなかったとさえ思うでしょう。しかし彼女は最高の分、わたしたちにない分を受けました。彼女のさらに優れた分とは、彼女が主を愛していたということです。すべてのクリスチャンはこれを慕い、追い求めるべきです。…
他の婦人たちも主を捜しに行きましたが、最初墓に行ったのはマグダラのマリヤでした。彼女は週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、墓に行ったのです。彼女は何も顧みず、ただ主を捜し求めたのです。ある兄弟は、これについて適切に言い表しています。「主イエスが死なれたからには、この世はマリヤの目に空虚でしかなかった!」。全世界でさえ、マリヤの心を引き付けることはできませんでした。なぜなら、一人の方が彼女の心を奪ってしまったからです。マリヤの心は完全に主によって占有されました。マリヤの心は主によって完全に捕らえられました。ああ、マグダラのマリヤの心は主に奪われたのです。…
Ⅱ . 帰る家も安息も満足もない
マリヤはどうしたでしょうか?「しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた」。彼女には行く所がありませんでした! 彼女は去ることができなかったのです! この「しかし」という言葉は何と深いことでしょう。マリヤは心の中でこう考えました、「あなたがたには行くことのできる家がありますが、わたしにはありません。なぜなら、主がここにおられないからです。あなたがたは主がおられなくても重要ではないと思っていますが、わたしはそう思うことができません。だれが主を取り去ったのでしょうか? どうしてわたしは離れることができるでしょうか?」。彼女は墓の外に立って泣いていました。彼女の目に、この世は空虚になりました! 主はそこにおられません。彼女はほかに何をすることができるでしょうか? 彼女はただ墓の外に立って泣く以外、何もできませんでした。ああ、マリヤの心はやもめの心です! 主の後に従っていた弟子たちは帰ってしまいました。知識のある弟子たちも帰ってしまいました。主を愛していたヨハネも帰ってしまいました。勇敢なペテロも帰ってしまいました。ところが、主に七つの悪霊を追い出してもらったマリヤは、主に捕らえられました。彼女には安息がなく、慰めもなく、帰ることもできませんでした。主がそこにおられないというのは、すべてがなくなったことでした。彼女の心は失望し、空白でした。ですから、彼女はただ泣くほかありませんでした。…
ある人は、こう思うでしょう、「ヨハネのように主を愛している人について行けば、すばらしいことだ。ペテロは大いに主に対処された。彼の指示に一度でも聞き従うことができたなら、すばらしいことだ」。ところが、マリヤの心はそれらのことにありません。ペテロやヨハネがそこにいても、十分ではありませんでした。彼女の心はやもめの心です!あなたは、御使いが彼女に話しかけたのだから彼女は喜んだはずである、と思うかもしれません。ところが、マリヤは何も感じませんでした。ある人たちは、御使いはとても特別で、白くて輝く衣を着て引き付けられると思いますが、マリヤは自分の主が取り去られたことしか思っていませんでした。御使いは彼女の空白の心を満たすことができず、彼女はただ泣くばかりでした。彼女は思いました、「主は行ってしまわれた。わたしはもはや満足できない! ペテロやヨハネはいるが、主は行ってしまわれた。わたしは満足できない! 御使いはここにいるが、主はおられない。わたしは満足できない」。主がマリヤに現れたのは、主に飢え渇いていた心を満たすためでした。ペテロとヨハネは自分たちの家に帰りました。主は彼らを捜しに行かれませんでした。ところが、ここに、ひたすら完全に主を求める心がありました。ですから、主は彼女を捜す必要があったのです。
兄弟姉妹、わたしたちは知識に多少欠けていても、あまり大したことではありません。主にわたしたちを捜させるような心を持つこと、これが最も尊いことです。
Ⅲ . あの方
『彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか」。彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります」』。彼女は主イエスを見ましたが、 園の管理人だと思いました。主が彼女にだれを捜しているのかと問われると、彼女は「あなたが、あの方を運んだのでしたら」と言いました。彼女は、自分が主を捜していることを言うのを忘れていました。彼女はナザレ人イエスを捜していました。彼女はただ「あの方」と言ったのです。マリヤから見れば、この世には 「あの方」一人しかいません。マリヤの心の中では、すべての人が「あの方」がだれであるかを知っていると思えたのです。マリヤはすべての人が、「あの方」を認識すべきであると思っていました。マリヤはだれをも気に留めず、ただ「あの方」一人を気に留めていました。これがマリヤの心です。…
Ⅳ . 私が引き取ります
「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります」。マリヤはどのような人だったでしょうか? 彼女は女でした。彼女の体が弱かったか強かったか、わたしたちにはわかりません。しかし、彼女の心が彼を引き取りたかったことはわかります。彼女は自分の力が十分であるかどうかを考えず、どれほどの道のりがあるかも考えませんでした。彼女はただ、彼を引き取ろうと思っていました。
愛は「困難」の意味を知りません。この世で最も不思議なのは、愛のある所には困難が感じられないということです。
彼女はただ、人が彼をどこに運んだかを知って、自分が彼を引き取りに行こうとしたのです。これがマリヤの心です。このような光景の下で、主はご自身を彼女に啓示せざるを得ませんでした。主は彼女をそれ以上、泣かせておくことはできませんでした。主はまずペテロやヨハネを捜しに行くことも、エマオに向かっていた二人の弟子を捜しに行くことも、トマスを捜しに行くこともできませんでした。主はまずご自身に飢え渇いている心を満たさなければなりませんでした。主はまずマリヤに現れなければなりませんでした。
Ⅴ . 主御自身の啓示
主はどのようにして彼女に現れたでしょうか? 「イエスは彼女に言われた。「マリヤ」。彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った」。わたしたちは、主がそのような声で「マリヤ」と語られたのを聞いたことがあるでしょうか? あなたの祈りの時、あなたの部屋で、「マリヤ」と言うこの声を聞けば、もう十分です。主が「マリヤ」と言われた時、マリヤは彼であると認めました。これが啓示です。主がひとたび語られれば、それで十分です。羊飼いが自分の羊を呼べば、羊の目は開かれます。 マリヤが主の御声を聞いた時、それは園の管理人ではなく先生であることがわかりました。彼女はもう泣く必要はありませんでした。主がご自身をわたしたちに啓示される時、もはや何も言う必要はありません。
主がひとたび「マリヤ」と言われただけで、彼女は直ちにそれが主であることを知りました。兄弟姉妹、わたしたちは主の御声を知っているでしょうか?…
Ⅵ . 啓示の条件ー飢え渇く心
今、マリヤにまだ何か言うことがあるでしょうか? ありません。彼女は十分でした。彼女は本当に十分でした。ですから、マリヤは帰りました。今や彼女は帰ることができます。兄弟姉妹、もしあなたがこの啓示に欠けていて、主を見たことがなく、主の言葉を聞いたことがなければ、主を責めることができるでしょうか? 決してできません。なぜなら、あなたはマリヤのような飢え渇いている心を持っていないからです。自分は深く主を慕ったことがあるかどうか、自分に問うてみてください。あなたは心から神の御子を募ったことがあるでしょうか? あなたは自分の地位、自分の名声によって、主の心に触れることができないことを、ご存じでしょうか? しかし、たった一度であっても、あなたが真に主を慕うなら、主の心は必ず触れられます!神がわたしたちの中に、神の御子を思い、ひたすら彼を愛する心を与えてくださいますように。
まとめ
マリヤは主を深く慕い続けたため、復活の主が最初に現れた人となった。主が彼女を選ばれたことは、主が最重要視されることを表明している。
参考書籍
「メッセージ記録(二)」ウオッチマンニー全集 第一期 第十八巻
出版元:日本福音書房

