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原文は中国語です。JGWの翻訳を元に調布に在る召会て体裁や語句を多少編集しております(更新日:2019年11月24日)。

一、パンさきの集会の重要性を見る

A. パンさきの集会は主が売られる前に自らが設立されたものです。それはわたしたちがパンを食べ、杯を飲み、主が来られるまで、彼の死を宣告することです(マタイ 26:26-30、Iコリント11:23-26)。

    • マタイによる福音書 26章26-30節
      26 彼らが食事をしていた時、イエスはパンを取り、それを祝福してさき、弟子たちに与えて言われた、「取って食べなさい.これはわたしの体である」。 27 また杯を取り、感謝をささげて、それを彼らに与えて言われた、「みな、それから飲みなさい. 28 これは、多くの人に罪の赦しを得させるために、注ぎ出されるわたしの契約の血である。 29 ただし、わたしはあなたがたに言っておく.わたしの父の王国であなたがたと共に新しく飲むその日まで、わたしは今後、ぶどうからできたものを、決して飲むことはしない」。 30 そして彼らは詩歌を歌ってから、オリブ山へ出かけた。
    • コリント人への第1の手紙 11章23-26節
      23 わたしは主から受けたことを、あなたがたにも伝えました.すなわち、主イエスは裏切られたその夜、パンを取り、 24 感謝をささげてから、それをさいて言われました、「これは、あなたがたのために与えるわたしの体である.これを行ない、わたしの記念としなさい」。 25 彼らがそれを食べた後、杯も同じようにして、言われました、「この杯は、わたしの血によって立てられた新しい契約である.それを飲むたびに、これを行ない、わたしの記念としなさい」。 26 ですから、あなたがたがこのパンを食べ、その杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。

B.  使徒パウロは信者たちに警告して言いました。ふさわしくないままで主のパンを食べ、主の杯を飲む者は、主の体と血に対して罪を犯すのです。このことのゆえに、主の懲らしめを受け、体が弱くなり、病気になり、眠る(死に至る)こともあります。

    • コリント人への第1の手紙 11章27-30節
      27 こういうわけで、だれでも、ふさわしくないままで主のパンを食べ、主の杯を飲む者は、主の体と血に対して罪を犯すのです。 28 人は自分自身を吟味して、それから、そのパンから食べ、その杯から飲みなさい。 29 なぜなら、食べ飲みする者が、その体をわきまえないのであれば、自分自身に対する裁きを、食べ飲みすることになるからです。 30 このことのゆえに、あなたがたの間では多くの者が弱く、病気であり、多数の者が眠ったのです。

C. パンさきの集会の中で、信者は主の愛を感じ、主の愛に飽き足り、霊的な状況が復興され、自分自身をささげ、完全に主のために生きるようにならなければなりません。(例:モラビアンの兄弟たちの復興)

二、パンさきの集会の流れを理解する

A. どの集会でも開始から終わりまで、ある程度の流れがあります。まずパンさきがあり、あとで預言があります。パンさきの流れは六つの項目から構成されています。

①集会に来る
②開始
③主題への導入
④主の死と贖いの成就を賛美する
⑤パンと杯に感謝し、パンと杯を回す
⑥父を礼拝する

三、パンさき集会へ来るまでのプロセスを強化する

A. 集会前の準備を強化する

    • 主日は早起きし、この世の事にまみれないようにする。主と多く接触し、主を享受し、霊をよみがえらせ、新鮮にし、喜びがあるようしなければなりません。
    • 住んでいる場所に、同級生、仲間(パートナー)、家族が一緒にいるなら、一緒に祈り、互いに供給しあえるなら、それはもっと良いことです。

B. 集会に出る時は、きちんとした身なりで、遅刻することなく、最も良いのは10分前に来ることです。左右か前後の人、3人、5人で小さな声で集会のために祈ることができます。人が多くきたなら、大きな声で祈ることができます。導く兄弟が集会を始めますと言うのを待つ必要はなく、そのようにしていつの間にかにパンさき集会が始まります。

四、パンさき集会の開始において

A. パンさき集会の時間が来ても、兄弟姉妹がも霊を解放し、祈り、主を賛美するような状況でなく、ただ続いて集会所に入ってきて、そこに座っているだけなら、導く兄弟たちは始まりのため、一曲詩歌を選び、正式にパンさきの集会を始める必要があります。

B. 以下に幾つかの詩歌を、導く兄弟たちが選び歌うための参考として挙げています。もし導く兄弟たちがよく学んでいるなら、いま聖徒たちが祈り、主を賛美しているときに霊の動きを理解し、また各々の詩歌の真理と思いを理解し、また主の導きに照らして、その他の適切な詩歌も選ぶことができます。

  • 285番(1節):「高き山のの上(え)で、ただ主を見たし」
  • 補201(1節、2節):「彼は日々さらに尊い」わが心日々引き寄せるイエス…
  • 中補318(全節):「初めての愛」はじめて主イエスに…
  • 中補326(1節、2節):(日本語なし)

 以下は285番を選び、どのように詩歌を歌ってパンさき集会を始めるかについて模範を示しています。

詩歌285:慕い求める―主と交わることを「主よ、たかき山の上にもたらせよ」

第一節
たかきやまの上で、ただ主を見たし、
天のみこえを聞き、新鮮な空気を吸う。
(復)さらにたかねへと、みちびきたまえ;
霊のいずみ飲みて、さらに主、享受す。

【全訳】
主よ、わたしを高い山に連れて行き、
ただあなただけを見せてください。
天上の声を聞かせ、
新鮮な空気を吸わせてください。
(復)
わたしをさらに高い山に連れて行き、
あなたとさらに親密に交わらせてください。
さらに霊の中で生ける泉を飲み、
あなたご自身をさらに享受させてください。

 わたしたちは集会の中で、通常は主に対して何か求めることは不適切です。なぜなら、救いに関するすべてを主はすでに成就されているからです。しかしわたしたちこれらの恵みを得た者たち(救われた者たち)は、主日にパンさき集会に参加する時に、わたしたちの心と霊は準備されていません。また主との間の交わりも不正常なので、集会の最初の時に、ある時は主に何かを行なってくださるように求めなければなりません。

 何を行なっていただくのでしょうか?第一にわたしたちを高い山へと連れて行ってくださるということです。ここでの高い山とは霊を指して言っています。わたしたちが主によって霊の中へともたらされるなら、第一に、地上での事柄はわたしたちを覆うことなく、単純に主ご自身だけを見ることができるようになります。第二に、人に属する雑音がわたしたちをわずらわすこともなく、わたしたちは主の語りかけを聞くことができます。第三に、罪によって汚されているという雰囲気がわたしたちを汚すことがなく、わたしたちは霊なる主で満たされます。

 折り返し(副)の中の祈り求めがわたしたちに見せていることは、わたしたちが霊の中で主と交わるとき、その程度によって差があるということです。わたしたちは主を追求し主と親密に接触し、彼の生ける水を飲み、彼ご自身を享受する必要があります。

(注)この詩歌の一節は、聖徒たちが共に歌ってもらうことができます。あるいは兄弟姉妹が交互に歌うことができます。また独唱もできます。集会の雰囲気が開放的になり、盛り上がれば、主題を導入できる段階になったということです。

C. 開始の詩歌は、できるだけ今週の朝ごとの詩歌は選ばず、今週の朝ごとの内容を祈らないことです。なぜならそれはパンさき集会とは何の関係もないかもしれず、歌い、祈るなら、主を記念することを妨げてしまうかもしれないからです。

五、パンさき集会の主題への導入

1. ある種の詩歌を選び提示した時、それは、今からパンさき集会を主題とするということを示します。それらの詩歌は主がわたしたちの救い主であり、わたしたちのために贖いを成就されたという賛美へとわたしたちを導きます。

2. パンさき集会の主題へと導く歌

    • 129(1、2、4、5節):「奇しき救い主、その愛、類なし」
    • 126(1、2、4、7節):「主よ、なが愛は何と真実!何と大きく、広い」
    • 116(全節):「主よ、なが苦難と災いの道は」
    • 111(全節):「神の子、救い主、血により贖い成し」
    • 94(1、2節):「主よ、なが贖い、いかに奇しき」
    • 130(1、2、4節):「主よ、なが愛は何と深きかな」

六、主の死、贖いの成就を賛美する

 これは、この時がパンさき集会の賛美の高嶺であることを示します。そしてまもなくパンと杯に感謝し、パンと杯を回します。

 この時に用いることのできる詩歌

    • 174(1、3節):「主の愛に覆われ、愛餐を享受す」
    • 176(1、2、4節):「なが愛の宴席、パンさかずき示す」
    • 177(全節):「われは主のうちに、主はわがうちにいます」
    • 178(全節):「この宴せきのゆえ、主よ感謝します」
    • 179(全節):「主よ、なが食卓見て、わわれは驚く」
    • 181(全節):「パンとさかずきにて、なが死を展覧し」
    • 183(全節):「主はのろいを受け、われ祝福受く」
    • 184(全節):「その夜主イエスは、われらに言う」
    • 185(全節):「このパンを見て感謝します」
    • 186(全節):「愛の宴席は、恵みより出る」
    • 187(全節):「パンとさかずきに、人と成った主に」
    • 191(全節):「われらを愛し、憐れみ、恵み賜る」
    • 193(全節):「栄光、尊貴、豊富が、小羊にあれや!」

(注)183、191、193、はみな短く、パンと杯を回すときに歌うのに適していますが、選んで歌うのではありません。歌う負担のある人が自然に歌い出し、みながそれに続いて歌うものです。

七、父を礼拝する

 召会の主日のパンさき集会は、聖書の教えと模範にしたがって、二つの段階に分れているべきです。前半の段階は主を記念すること、後半の段階は父を礼拝することです。父を礼拝することは主を記念することよりも、霊は高められていて、更に強くなければなりません。

 主イエスがわたしたちの罪を担われ、わたしたちのために死んだのは、わたしたちを御父の前へともたらすためです。御父は創世の前に、愛の中でわたしたちを選ばれました。そしてわたしたちが堕落した後、わたしたちを救うことを決意されました。ですから時間が満ちたときに、彼のひとり子を地上へと遣わしました。もし御父の定められた御旨がないとしたら、御子は自らわたしたちの救い主となることはできません。ですから、わたしたちはパンさき集会で、パンと杯を享受した後、主の導きの下で、御父の前と出て、詩歌を歌い、彼を賛美、礼拝します。

 わたしたちの『詩歌』の第二分類は「父を礼拝する」です。それに含まれる十九の小分類は父を礼拝するのに用いることができます。その中の最初の4つは御父が何であられるか(存在/Person)についてです。続く13のものは、御父の属性(Attributes)についてです。第一分類の「三一の神を賛美する」の中の詩歌も、いくつかは御父の礼拝に適したものがあります。

詩歌の目次の抜粋

*存在(Person)
#属性(Atributes)

2.1 御父の存在と特質(属性)

* 愛と光として 6
* 永存する方として 7
* その霊として 8
* 命の源として 9
# 彼の卓越性 10
# 彼の新しさ 11
# 彼の偉大さ 12
# 彼の信実 13-14
# 彼の義 15-18
# 彼の聖 19
# 彼の知恵 20-21
# 彼のあわれみ 22-23
# 彼の愛 24-29

2.2 御父の計画とエコノミー

# 彼の意図 30
# 彼の選び 31
# 彼のあらかじめ定めること 32
# 彼の贖い 33-41
彼の子たる身分の中の恵み 42-45
多くの子たちの賛美 46-52

 どの詩歌を選ぶにしても、わたしたちが詩歌を歌う時は全身、全心、全霊を活用して御父に歌う必要があります。わたしたちは信仰の中で、霊である御父に向かって歌います。それはちょうど一人の目上の人の前で、その人に向かって尊敬をもって注意して話すのと同じように、わたしちは歌わなければなりません。この点を、わたしたちは容易に軽く見てしまいます。ですから今日特に注意し、このような心と態度を持って御父に歌う訓練をする必要があります。

 その次に、わたしたちが詩歌の一節一節を歌うときに、ゆっくりと歌ったり、どの節も、またフレーズもゆっくりと味わったりして、その中に含まれる意味をよくよく考える必要があります。このようにして得たことは、必ずわたしたちの気持ち感動し、わたしたちの全存在に触れます。

 つまり、わたしたちがパンさき集会において、その後半の部分に入って共に御父を礼拝する詩歌を歌う時に、家の中でソファーに座って、気軽にその詩歌を歌うように歌ってはいけないということです。そうではなく、将来、かの日が来たときに、わたしたちが復活し、携え上げられ、御使いたちと共に、天において御父にひれ伏して、全身のすべての細胞が震え奮い立ち礼拝するのと同じように歌う必要があるということです。今日、召会の中で、御父がこのような礼拝を得られることを強く願います!

 以下に、わたしたちが詩歌31番を歌うときに、どのように父を礼拝するのか模範を示します。

第一節
ちちなるみかみのあいかぎりなし!
創せいのまえよりわれらをえらび、
主イエスに引き寄すあまくふかきあいに、
とわにまもれや。

【全訳】
父よ、創世の前から、あなたはわたしたちを選ばれました。愛は無限です!
この愛は甘く、励まし、深遠で、わたしたちをイエスに親しむように引き付けます。
さらに守って、わたしたちが今後も永遠に堅く立つようにしてください。」

 御父は創世の前に、わたしたちを選ばれました。彼は人類を選ばれたのではなく、人類の中の、わたしたちというグループの人たちを選ばれたのです。このような選択は、彼のわたしたちに対する無限の愛を表わしています。彼がこのように大きな宇宙を創造されたのは、わたしたちというグループの人たちのためです。彼の愛は甘くて深く、わたしたちを励まします。人が弱さ、失敗を感じるときに、誰かがその人を愛し、大切に思い、期待していることに触れたなら、その人は大いに励まされ、人生にしかし栄光が、永遠に神と小羊に帰されますように。

 御父がわたしたちを愛してくださったので、わたしたちはイエスと親しむことができます。イエスは御父がわたしたちを救う手段です。彼は神とわたしたちとの問題をなだめて下さいました。堅くとは、御父の愛の中で堅くされることです。神はわたしたちを愛されましたが、わたしたちは彼の愛を受け入れないかもしれません。ですから、御父にわたしたちが永遠に堅くたつようにしてくださいと求めるのです。御父の愛を離れるなら、わたしたちは非常に弱くなります。わたしたちはこの世の終わりまで、彼の愛の中で守られるように、御父を仰ぎ望みます。わたしたちが歌う時に、わたしたちが永遠に堅く立てるように神を仰ぎ望めますように。

第二節
世は変わりゆくも、かみは変わらず;
あいとみことばはとわにわれらに。
かたくさだまれり、われらかみの子らよ、
御ちちをほめよ。

【全訳】
「宇宙は徐々に変わっていきますが、わたしの神は絶対に変わりません。
彼の愛する心、彼の言葉は、わたしたちに対して永遠に堅く定まっています。
神の子供たちよ、わたしたちは彼の御名を賛美すべきです。」

 宇宙は徐々に変わっていきますが、神の愛は絶対にかわりません。神の愛は変わることがなく、神の言葉も変わることがありません。変わることがないので、永遠に堅く定まっています。わたしたち、神の子供たちは、御父の名を賛美しなければなりません。

第三節
御子さえおしまずあたえしかみの、
あいはとらえたもうわがいのちをも。
そのあわれみわがうたとくちのほこり、
こころはたのし。

【全訳】
「神のあわれみはわたしの詩歌、
わたしの口の誇り、心の喜びです。
初めから終わりまで、無代価の恵みが、
わたしの命を得て、心を感動させることができます。
神はわたしたちを愛しておられます!愛する御子をさえ惜まれみません。」

 神がわたしたちを愛されたのは、わたしたちになにか良いものがあるからではなく、ただ彼のあわれみによります。愛の対象が愛らしくないなら、愛は変わるかもしれませんが、あわれみがあるなら、愛は変わることがありません。神はあわれみを持っておられるので、わたしたちの状況がどのようであっても、神はいつもわたしたちを愛されます。神のあわれみにより、わたちたちの心の中は喜びます。また神のあわれみにより、わたしたちの口は誇ります。初めから終わりまで、創世から永遠まで、すべて無代価の恵みです。

第四節
こころを合わせて不思議なあいを、
御まえに行きてもたからかにほむ;
えい光を受けませ、
みかみと小ひつじよ、
いまよりとわに。

【全訳】
愛する神よ、わたしたちは今一つ心であなたの不思議な愛を歌いたたえ、
この世から離れて、
天に至っても、わたしたちはなおもほめたたえたいのです。
しかし栄光が、永遠に神と小羊
に帰されますように。

 このような不思議な愛は、歌いたたえる価値があります。わたしたちが御父に全心を持って歌うなら、御父もほほえながらわたしたちが歌うのを聞かれるでしょう。わたしたちが全神経を注いで、心から、霊から歌うなら、このことを感じるでしょう。もしパンさき集会の三分の一、あるいは五分の二の時間を用いて御父を礼拝し、礼拝するときに兄弟姉妹がみなこのように訓練するなら、何とすばらしいことでしょうか!

 御父を礼拝する時に用いることのできる詩歌

    • 8:「父よ、なれは霊、何と神聖」
    • 9:「源となる神よ、豊富な命」
    • 11:「父よ、なれは神聖、とわに緑」
    • 12:「天地の創られしもの、すべてはなれの力」
    • 25:「父よ、なんという愛あとうや」
    • 27:「神よ、なにゆえなが愛の御子を」
    • 31:「父なる御神の愛限りなし!」
    • 35:「ほめ歌う、御子遣わし」
    • 40:「いけにえも血も、すべては過ぎ去る」
    • 41:「神に召されて御子をあおぐ」
    • 44:「父よ、恵みにて、なが名をたたえ」
    • 48:「宴せき過ぎ、なお甘し」
    • 49:「父よ、われらかしこみて、礼拝す」

出典:2019年11月花蓮における劉遂兄弟の交わりの資料(2019/11/20 JGW翻訳)に基づき、調布にある召会が編集(一3を削除、二1を削減、詩歌目次の追加、送りがな・言い回し・書式の調整など)

2019年11月24日修正

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