【読物】主に告げる

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「主に告げる」と関連する詩歌

Someone

歌詞はこちら(英語のみ)

He understands you thoroughly

What a friend we have in Jesus

歌詞はこちら(日中英)

My will is weak, my strength is frail

My Lord and I

歌詞はこちら(日中英)

The Lord knows all that frustrates you

書物からの抜粋

*下記の文章は『ウオッチッマン・ニー全集第18巻』の第34号「彼に告げる」(PP12-125)からの抜粋です。聖句は回復訳聖書2009版に更新しております。サブタイトルは原文にありません。ピリピ4:6は原文では引用されていません。段落の順番を変えています。原文の中国語はこちらで読めます。

引用開始。

話を聞いてくれる人がいますか?

…わたしたちの主は、人が告げることのできる方です。人は容易に、言いたいことを主に告げることができます。どんな言葉でも、みな彼に告げてよいのです。…

多くの時、わたしたちにはだれかに自分の悲しみ、喜びを告げる必要がありますが、告げることのできる人はいません。…時には、とても楽しいことを人に告げますが、人はわたしたちのことを理解することができないので、わたしたちと一緒に喜んでくれません。…時には、だれかに自分の悲しみや喜びを告げたくなります。しかし、それを聞いてくれる人を見つけることは難しいです。わたしたちに同情してくれる人を見つけるのはさらに難しいです。

主は悲しみを聞かれます。

マタイ 14章12節
それから、ヨハネの弟子たちがやって来て、遺体を引き取って葬った.そしてイエスの所に来て報告した。

主はご自分の弟子たちの話を聞いてくださり、ヨハネの弟子たちの話を聞いてくださいます。ヨハネの弟子たちは長い間、彼らの先生に従っていました。彼らと先生との間の感情は、よくよく通じ合っています。彼らの先生が殺されたのですから、彼らはどうして悲しまないことがあり得ましょうか?聖書は、彼らがヘロデを責めているとは言っておらず、彼らが一日中泣いていたとも言っていません。彼らはただヨハネの体を葬り、イエスに告げた、と言っているだけです。

ある人たちは死人を葬った後、こう言います、「わたしのいっさいは終わった。わたしは絶望だ。彼は死に、わたしはすべてを失い、わたしのすべては彼と共に去ってしまった」。ところが、これは、わたしたちが主に近づくべき時です。わたしたちは自分の悲しみを、主に告げることができます。

主は、「あなたはあまりにこの世的であり、あまりに感情的であり、あまりに死人を惜しみすぎる」とは言われないのです。主はわたしたちの感情を知り、わたしたちの心を思いやってくださいます。主に一回告げ、心を彼に注ぎ出すなら、主との親密さが一段と高くなり、彼をさらに知るようになることを、わたしたちは認識すべきです。このような時に彼と親密な接触を持つことは、通常の交わりの何百倍にもまさります。このような接触によって、わたしたちは命において前進するのです。

わたしたちは自分の困難を主にもたらして、彼に告げるべきです。主はわたしたちを慰め、支えることができます。人がもし主の前で涙を流したことがなく、主と苦楽を分かち合ったこともなく、自分の秘密の事柄を主に話したこともないのであれば、このような人は決して主との親密な交わりがなく、主との親密な行き来がありません。わたしたちは、人に祈ってもらったり、助けを求めたりしてはいけないと言っているのではありません。すべてのことを主に告げてこそ、主にさらに親しむことができるのです。

主は喜びを聞かれます。

ローマ 12章15節
喜ぶ人たちと共に喜び、泣く人たちと共に泣きなさい。

主はわたしたちの悲しみを聞かれるだけでなく、わたしたちの喜びも聞いてくださいます。…「同情」は喜ぶ者と共に喜ぶことができ、泣く者と共に泣くことができるのです。時にわたしたちは、人が大喜びするのを見て、彼はあまりにも喜びすぎていて軽率であると見なします。これは、わたしたちが人の喜びを思いやることができないことを意味します。パウロは、「喜ぶ人たちと共に喜び、泣く人たちと共に泣きなさい。」と言いました(ローマ12:15)。これが人を思いやることです。主はわたしたちと共に悲しみ、わたしたちと共に喜んでくださいます。…

わたしたちは常に笑っていることはできませんが、喜びがある時はいつも、主に告げるべきです。わたしたちは喜ばしい時に主を覚えて、自分の喜びを主と分け合うべきです。主は決して、わたしたちが喜びすぎていると、わたしたちを責めることはされません。主はとても自然にわたしたちの感情を顧みてくださいます。ですから、わたしたちの喜びを主に告げることを忘れてはいけません。

主に告げるのに小さすぎるのでしょうか?

ピリピ 4章6〜7節
何事にも思い煩うことなく、あらゆることにおいて、感謝をささげることを伴う祈りと願い求めによって、あなたがたの要望を神に知らせなさい.そうすれば、人知をはるかに超えた神の平安が、あなたがたの心と思考を、キリスト・イエスの中で護衛してくださいます。

…わたしたちは、主に告げるのは大きな事でなければならない、そうでないと主は聞いてくださらない、と思うでしょう。わたしたちの主は決して小さな事をおろそかにされないことを、わたしたちは知りません。主が聞くにはあまりに小さい、ということは何一つないのです。主は何でも聞いてくださいます。彼はわたしたちのすべての事を聞いてくださいます。

ディスカッション

1)あなたは主にどんなことを告げたことがありますか?

2)あなたが主に告げることができない理由はなんですか?
下記の項目で当てはまるものはありますか?

  1. 主の答えが見えてるから告げる必要がないと思った。
  2. 自分のやり方に主は反対するだろうと思った。
  3. 自分のような悪い子の話は聞いてもらえないと思った。
  4. 小さいことだから主に煩わしたくない、自分で解決したい。
  5. 告げたとしても、主の反応が分からないだろうから。
  6. そもそも、なにをどう主にどう告げたらいいかがわからない。

今週の練習

なんでも主に告げてみましょう。もし心になにか微かな声が浮かんだなら、それに耳を傾けてみましょう。

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