メッセージの背景と予備知識

タイトル

「クリスチャン生活と神の宇宙的な統治」

概要

(編集者の理解に基づくまとめです)

今回の4つのメッセージは、ペテロによる2つの手紙(計8章)にもとづいて語られています。主題は「神の統治のもとでクリスチャン生活を生きる」です。コロナが蔓延し、各地の政府が様々な対応をされており、人々はそれぞれの環境において苦しまれている中、クリスチャンとしてのあるべき心構えを、神の永遠のご計画の観点から語られています。

外側の政府は神の代理権威であり、私たちはそれを批判したり、反抗すべきではありません。それどころか、私たちは外側の政府に従うことを通して、さらに厳しい権威、内側にある神の統治に従う生活を送る必要があります。それは神が私たちに日ごとに用意している裁きに服従することです。

神の裁き従った結果、私たちはキリストの複製(Reproduction)となります。私たちは魂は喜びに満たされます。それはイエスという模範を表面的に模倣するのではなく、私たちの霊の中でイエスに生きていただき、霊を通して内側から造りかえられることです。

「イエスならどうするのかな?」と自問自答し、想像にしたがって、「じゃあ私もそうしよう」と意志を働かせて、意図的に行うのではありません。ただ霊に戻り、「おお、主イエスよ!」と主に心を向け、ミングリングされた霊を活性化させるるのです。それによって主の感覚は私たちに浸透し、わたしたちは意図せずとも、自然と、神の義の要求を満たすように行えるのです。それがローマ人への手紙で言われている「命の霊の法則」です。

*上記は編集者の理解に基づくまとめであり、聖書本来の観点またはメッセンジャーの観点を代表するものではありません。間違いがございましたら、ご指摘お願いします。

メッセージの要点整理

王国と統治の違い

*オープニングで語られた。

  • 王国は領域・範囲であり、統治はその王国の支配する中心である。神の王国と言った場合、そこに神の統治があることを暗示している。

神の義が宇宙を満たすまでの流れ

*オープニングで語られた。

  • 神は義を地上にもたらしたい(マタイ6:33、詩篇89:14、2ペテロ3:13)
  • しかし、地上は不義に満ちている
  • まずは、召会の中に義をもたらす
  • そして、召会を通して道を得て、義を拡大する
  • 最終的に、全宇宙が義に満ち、完全な秩序と平安と喜びがある

 自己改善と神の統治の下で生きることの違い

  • 自己改善は意志(魂の一部)をもって、自分の努力により行うこと。
  • 神の統治(その霊による導き)は自然な結果をもたらす。
  • 神は裁きによって統治を行う。裁きと同時に供給もある。裁きに服従することによって、私たちは自然と義を生かし出すことができる。だから、神の統治は自然な結果をもたらす。

裁きの理由(Ⅱ- C)

  • 霊において新創造となったが、魂は依然として旧創造の中にいる。
  • 命の成長・造り変えのために裁かれる必要がある
  • 父が子供を愛を持ってこらしめる(ヘブル12章)。時には涙をもって行うこともある

裁きの時(Ⅰ- D)

    • 将来の裁きもあるが、1ペテロ1章17節における「裁き」は現在、日ごとのものである。千年王国の時に裁かれるより、現在裁かれたほうがいい。

「キリストの複製となる」ことの御言根拠

あなたがたが再生されたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、生きていて存続する、神の言によるのです。なぜなら、「すべての肉は草のようで、その栄光はすべて草の花のようだ。草はしおれ、花は散る.しかし、主の言葉は永遠に存続する」。これが、あなたがたに福音として述べ伝えられた言葉です。
回復訳聖書 ペテロの第1の手紙1章23〜25節

この御言から読み取れるのは

  • 朽ちる種=肉(堕落した人の存在を指す)
  • 朽ちない種=神の言葉(生きている存続する)

肉、すなわち人の努力は、しおれる草のように価値がなく、散る花のようにその効果(栄光)は永続しない。しかし、神の言葉は永遠に存続するもの。これを種として人の中にまくことが福音の述べ伝えの本質である。

種としてまかれるので、私たちはキリストの複製といえる。

なぜなら、ヨハネ12章24節がこう言っている:

まことに、まことに、わたしはあなたがたに言う.一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである.しかし、それが死んだなら、多くの実を結ぶ。
回復訳聖書 ヨハネによる福音書12章24節

主の模範(III)

主は地上にいるとき、完全に神の統治に服する人間として生活された。

主は地上で迫害されたとき、義により正しく裁かれるお方にコミットして、服従された。主は御父に完全に信頼して、自分をささげた。主は人の体として、地上に遣わされたとき、内側では常に御父と共にいて、御父に従った。

主エホバはわたしに、教えを受けた者の舌を与えて、疲れた者を言葉をもって、いかに支えるかを知らせられる。
回復訳聖書 イザヤ第50章4節

私たちに求められること(IV)

神の子供、クリスチャンとして、私たちは神の統治に服して生活すべきである。

  1. 神の御前にへりくだり、統治に従う
  2. 私たちは主を見たことはないが、主を愛し、信じる
  3. 私たちは自分たちの魂を創造主に明け渡すべきである
  4. 主が十字架にかかったときに、私たちも一緒に罪の中に死んだのであり、主が復活したときに、私たちも神の統治下の下、義により復活した。

わたしたちが罪に死んで、義に生きるために、彼はわたしたちの罪を、ご自身の体において、2木の上で1担われました.その方の打たれた7傷によって、あなたがたは8いやされたのです。
回復訳聖書 1ペテロ第2章24節

 

以上。

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