神は旧約時代においても肉体をもって現れたことがあります。務めの書物のを引用し、二つの事例をご紹介します。
目次
務めの書物からの抜粋
アブラハムに現れた
三人の人が、創世記第18章2節から13節において、アブラハムに現れました。この三人のうちの一人は、キリスト、すなわちエホバであり、その他の二人は御使いでした(19:1)。この三人の人がアブラハムに現れたのは、キリストが肉体と成ることの前でした。この事が意味するのは、神が肉体と成ることの二千年前に、ご自身の友アブラハムに訪れた時、人として現れたということです。アブラハムは彼がご自身の足を洗うための水を用意し、アブラハムの妻サラが食事を用意すると、この人はそれを食べました。これは奥義です。いつキリストは人になったのでしょうか?それは彼が肉体と成った時でしょうか、それとも肉体と成る前でしょうか?
ダニエルに現れた
ダニエル書第7章13節から14節によると、ダニエルは、天の雲に乗って来た人の子のビジョンを見ました。さらに、人の子は日の老いた方(永遠の神)のもとに来て、彼の御前に導かれました。この方に主権、栄光、王国が与えられたので、諸民、諸国、諸言語の者たちはすべてこの方に仕えるべきです。彼の主権は永遠の主権であって過ぎ去ることがなく、彼の王国は滅びることがありません。ダニエルは、キリストが肉体と成ることの前に、人の子としてのキリストのそのようなビジョンを見ました。
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引用元:日本福音書房『朝ごとの食物──エレミヤと哀歌の結晶の学び』(第6週第1日、朝の養い、P113)、『歴代志上・ 下ライフスタディ』メッセージ 13と同じ。
サブタイトルは編集者による。