「召会」と「教会」の違いは何ですか?
「召会」は「教会」は同じく、クリスチャンの間では、信者の集まりを指しています。日本語の翻訳の違いです。
新約聖書原文のギリシャ語は”ekklesia”です。オンライン回復訳聖書マタイ16章18節の「召会」という言葉のフットノート(注釈)を引用し、意味を説明します:
ギリシャ語「エクレシア(ekklesia)」は、「召し出すこと」を意味します。この言葉は、召し出された会衆という意味で用いられています。(以降省略)
英語の聖書は一般的に”church”と訳していますが、”assembly”と訳しているものもあり、これは日本語で言えば「会衆」と訳しているものになります。
意味が同じならどうしてあえて「召会」を使うのですか?
「教会」という言葉が生むいくつかの誤解を避けるためです。
「教会は建物だ」という誤解
「日曜日は教会に行く」という言葉がありますが、これは一般的には、教会の建物に行くという意味で使われることが多いでしょう。しかし前述の通り、教会は人の集まりであり、建物ではありません。
「教会は宗教の会衆だ」という誤解
頭に「教」とついているので、宗教の会というふうに理解されるのが自然だと思います。一般的に教会といえば、キリスト教会をイメージする方が圧倒的に多いと思いますが、仏教信者の集まりも「◯◯教会」という名称を使いますね。それは文字通り宗教の会衆の意味です。
宗教とは伝統やしきたりを守りますが、キリストの臨在がない状態です。それはパウロが改心する前に宗教に熱心になり、召会を迫害をしていたようにです。つまり「宗教」たるものは、キリストと相反するものです。そのため私たちは「教会」よりも「召会」を使うのを好みます。
では、あなたたちは「キリスト教」ではないのですか?
私たちは「キリスト」を信仰するクリスチャンですが、「キリスト教」を信仰しているわけではありません。なぜなら、クリスチャン信仰というのは、生ける神との主観的・有機的関係の上に成り立つものだからです。宗教でよくある「こうすればこうなる」というルールに当てはまらないのです。あくまでも、キリストと関係を築き、キリストと共に生きることがクリスチャンだからです。
「教会」という言葉を使うことには反対ですか?
いいえ。翻訳上の問題なので、意味が通じれば問題はありません。また、一般的に「召会」と言っても通じない場面では、私たちは「教会」と言うこともあります。また、習慣的に「教会」の方がいいやすい場合もありますので、あまり気にする必要はありません。
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