メッセージの背景と概要
タイトル
「キリストをわたしたちの魂の牧者として経験する」
メッセージの位置付け
メッセージ1において、「神の統治と神の裁き」という厳しい面が語られてました。このメッセージは裁きに伴う優しい面「内在的な牧養」について語られています。
中心的な御言
回復訳聖書 ペテロの第一の手紙 2章25節
あなたがたは羊のようにさまよっていましたが、今は、あなたがたの魂の牧者、また監督者に立ち返ったのです。
タイトルを分解して説明します:
「魂の苦しみ」について
パンデミックの中、人々は苦しんでいます。肉体の苦しみもあるでしょうが、[su_highlight background="#fffc99"]人のもっとも大きな苦しみは魂にある[/su_highlight]。
「牧者」について
*鳥瞰のメッセージで語られた内容による。
羊であるわたしたちはよく道から逸れる
↓
主はわたしたちのために祈り、探し出す
↓
わたしたちが牧者に立ち返るようにする
「牧者」について様々な表現がみられますが、全部主のことを指しています。
- 良い牧者(ヨハネ10章11節)
- 牧者の長(1ペテロ5章4節)
- 大牧者(ヘブル13章20節)
御言は下記の通りです:
回復訳聖書 ヨハネによる福音書 10章11節
わたしは良い牧者である.良い牧者は羊のために自分の命を捨てる。回復訳聖書 ペテロの第一の手紙 10章11節
そうすれば、牧者の長が現れる時、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けます。回復訳聖書 ヘブル人への手紙 13章20節
永遠の契約の血による羊の大牧者であるわたしたちの主イエスを、死人の中から引き上げた方、すなわち平安の神が、
「牧養」とは?
群れに全てを含む顧みを与えることです。
(メッセージのオープニングの言葉より)
メッセージの要点整理
「神の統治」と「神の牧養」との関係(I)
神の統治の下にいないとき、牧養される資格を失ってしまいます。神の統治の下にいる時、魂は造りかえられ苦しみます。その結果、牧養される必要が出てきます。(ローマ数字Ⅰのメッセージより)
主の牧養の焦点は魂である(II - A)
神は私たちの霊を顧みますが、顧みの焦点はわたしたちの魂にある。
わたしたちはお互いに真の必要を顧みることはできない。できるのは主のみ。
主の牧養は内在的である(II - C)
わたしたちの自己憐憫は偽りの慰めである。
主の「内在的な慰め」は魂の本質と性質に触れる。
わたしたちの魂は複雑である(III - A)
わたしたちはこのように祈ることができる:
今日、あなたを必要とします。主よ、今あなたを必要とします。わたしの中に何が起きているかはわかりません。あなたはわたしの中にいてご存知です。わたしたちの魂には牧養が必要です。
わたしたちの内側に問題があることを、認識する必要がある。魂あるいは心が傷ついたことがない人はいない。わたしは13歳の時に受けた傷跡が残ったが、数十年後わたしの牧者がやってきて、顧みてくれた。
「魂の回復」は「魂の復興」(IV - A)
ロン兄弟の経験:約三十年前に、ある難しい状態を経験し、妻にこう言った:「わたしの魂は死火山の噴火口のようです」。能力と活力を失い、どのように前進したらいいかわからなかった。主はわたしを回復し復興してくれた。素晴らしい牧養だった。(動画の41分18秒から)
主はわたしたちの魂に安息を与える(V - A)
回復訳聖書 マタイによる福音書 11章18〜30節
11:28 すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい.そうすれば、わたしはあなたがたに安息を与える。
11:29 わたしは心の柔和なへりくだった者であるから、わたしのくびきを1負い、わたしから学びなさい.そうすれば、あなたがたは魂に安息を見いだすであろう。
11:30 わたしのくびきは負いやすく、わたしの1荷は軽いからである」。
わたし来なさい⇒個人的なこと
重荷から解放され、安息を得る(V - B)
わたしたちはみなそれぞれの「責任」がある。責任の重みはわたしたちにのしかかり、私たちを疲れさせる。主に来ると、重荷から解放されるだけではなく、完全な平安と全き満足を得られる。
安息の先に喜びがある(VI)
牧養の結果、私たちは主の与える安息と平安に満足せず、さらに喜びを持つまでにいたるべき。
模範:ウオッチマン・ニー兄弟は晩年、天に召される直前に獄中から「わたしは喜びをなおも維持している」と言った。
経験と享受の違い(VI - A)
- キリストを経験することは、主にわたしたちの霊における事柄である
- キリストを享受することは、わたしたちの魂における事柄である
享受を持つために牧養が必要(VI - C)
「わたしたちがキリストの教授を持つためには、主にわたしたちの魂の各部分を、特にわたしたちの思いを牧養していただく必要があります。」(アウトラインより)
この時代の意見によって統治されず、神によって統治される必要がある。
以上。