メッセージの背景と概要

このメッセージの位置付け

メッセージ3のタイトルは「キリストの複製となる」。メッセージ1〜4は時系列順になっている。

M1【経験の消極面】
裁かれる(M1)
─────▼─────
M2【経験の積極面】
牧養される
─────▼─────
M3【経験の目標】
キリストの複製となる
─────▼─────
M4【究極的な目的】
神の王国に豊かに入る

メッセージ2のおさらい

メッセージ2では、信者が苦難を経験していて、魂に特別な牧養を必要としていることについて語った。なぜなら一番の苦しみは魂にあるから。ペテロは信者に、魂を真実な創造主にゆだねるように勧めた(1ペテロ4章19節)

*オープニングより

オープニングの言葉

全体の思想の流れ

  • 【I 複製の掲題】初めに「わたしたちはキリストの複製になる」という結論を述べられた(I)。これは神の中心的な働きなので、誤解がないように理解することが極めて大切。
  • 【II 複製の原型】そして、複製の原型はイエスの生活であること(II)
  • 【III 複製の意義】その意義は、外面の模倣ではなく、内側の造り変えであると定義された。人は模倣に陥りやすいので要注意。
  • 【IV 複製の前提】そして複製には前提がある。それは神聖な命の豊富だ。言い換えれば、わたしたちはキリストと有機的な関係にあり、命の供給を受けているから、複製が可能なのだ。(IV)
  • 【V 複製の始終及び過程】そしてこの複製は主を信じることから始まり(ヨハネ3:14)、円熟というゴールに至る(ガラテヤ2:20の状態)。わたしたちは今この複製の過程にいる。聖書の多くの書で様々な表現で説明されているが、基本的には同じ、共通しているのは、全部現在進行形であることだ。この部分のアウトラインで重要なのは過程、そしてその過程を前進させるための、私たちが協力する意思決定である。

※IVとVを合わせて複製の経験と言える。

支配する原則の再確認:神の統治

支配する原則:governing principle

ペテロの手紙の中心的な思想は「神の統治の元にあるクリスチャン生活」である。神の統治は裁きと義によって執行される。わたしたちはへりくだらされ、神の統治を受け入れるように。

「恵み」だけではなく「義」にも注目!

恵みの元にいるだけではない

恵みによって救われ、恵みによって常に供給され、イエスの血によって恵みの御座に出ることができただけではない。

神の統治、すなわち義の一面もある。この統治のもとに生きれば生きるほど、ペテロの手紙で提示されたことを経験する。羊のようにさまよっていたが、魂の牧者に立ち返る(1ペテロ2章25節)。

もし、わたしたちはへりくだらず、自己を哀れみ、呟く、不満を言うなら、キリストを魂の牧者また監督者として経験することはない。

神の中心的な働きは模倣ではなく複製である

複製は「同形化されること」である

なぜなら、神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子のかたちに同形化しようと、あらかじめ定められたからです.それは、御子が多くの兄弟たちの間で長子となるためです.
回復訳聖書 ローマ人への手紙8章29節

これが神の中心的な働きです。すなわちキリストをわたしたちの内側の存在に作り込むこと。神の裁きの働きはわたしたちの内側にある障害、すなわち神の性質に反するものを取り除きます。

複製は「聖とされること」である

すなわち、この方は、愛の中で、御前に聖く傷のない者になるようにと、この世の基が置かれる前から、キリストの中でわたしたちを選び、
回復訳聖書 エペソ人への手紙1章4節

ペテロの手紙の中で、1ペテロ2:21が中心的な御言である:

あなたがたが召されたのはこのためです.なぜなら、キリストもあなたがたのために苦しみを受け、あなたがたが彼の足跡に従うようにと、原型を残されたからです.
回復訳聖書 ペテロの第一の手紙2章21節

100年以上前に『What Would Jesus Do』と言う本が流行りました。車を運転する時、イエスはどう運転するかを考え、想像して真似します。これは、極みまで宗教的であり、神のエコノミーに対する侮辱です。わたしたちを道から逸らせる教えです。

What Would Jesus Doに関してWikipediaを参照

*以上、オープニングの言葉から。以下よりアウトラインのノートになる。

**************

マタイ11章29節で、主は「わたしの方法を学びなさい」ではなく「わたしから学びなさい」と言ってっています。しかし、キリスト教は模倣について語り、本さえ出しています。

アウトラインに沿った解説

結論|I

わたしたちは原型としてキリストの複製になる必要があります。

「原型」は主イエスの地上の生活|II

複製の意味|II

「原型」のギリシャ語の意味:手本の上にトレーシングペーパーを置いて、手本を書き写し複製する。リー兄弟が用いた例証:コピー機。

複製の意義:わたしたちの上に書き写され、わたしたちは手紙となり、構成されたキリストを自発的に生きる。「キリストを学ぶ」パースンを学ぶ。存在に作り込んでいただくことで、パースンとしてのキリストを学ぶ。

「原型」の意味の考察|III

模倣ではなく複製|III-B

しかし、わたしたちはみな、おおいのない顔をもって、鏡のように主の栄光を4見つめつつ映しつつ、栄光から栄光へ、主と同じかたちへと造り変えられていきますが、それはまさに霊なる主からです。
2コリント3:18

パンデミックが終わっても、この過程が継続する。神のみこころにある中心的な事柄である。

複製と「神聖な命の豊富」との関係|IV

複製の「経験」|V

複製となることは、聖書においてあらゆる表現で説明されている。

このアウトラインでは、パラフレーズ(言い換え)としていくつかの御言を取り上げている。

複製の前提|V-A, B1, B2

複製するには前提があります。キリストはわたしたちのうちなる存在と深く関係しているからです。

すなわち:

  • キリストは命を与える霊としてわたしたちの中で生きている(1コリント15:45)|B

言い換えれば:

  • キリストはわたしたちと一つ霊である(1コリント6:17)|B2
  • キリストはわたしたちと一つ命である(コロサイ3:4)|B2

キリストと信者はこういう内在的、有機的な関係にあるから、信者がキリストの複製になることが可能なのです。

複製のきっかけ|VB3

前項で述べた通り、キリストの方は準備万端で、あとは私たち次第です。アウトラインの言葉で言うと:

キリストはその霊としてわたしたちの中に住んでいるので、
わたしたちは彼にわたしたちの中で生きていただく必要があります。
Since Christ dwells in us as the Spirit, we need to let Him live in us"
(ガラテヤ2:20)|アウトラインVB3

この"let"(させる)が大事。それはわたしたち自身の意志決定を示しています。わたしたちの意志決定がきっかけです。裏を返せば、わたたちが「させなければ」、この複製は全く進まないのです。

わたしたちはこう言う風に祈ることができます:

「主よ、わたしの中に生きてください!」

複製の開始と完成|VC1

アウトラインVC1では、この複製のスタート地点とゴール地点を提示してくださいました:

【スタート地点】信じた時に永遠の命を受ける(ヨハネ1:12、3:14)|C1

▼この命が成長すると▼

【ゴール地点】キリストがわたしの中で生きる
「…キリストがわたしの中に生きておられるのです…」ガラテヤ2:20|C1

※ヨハネ3:14は福音メッセージで最も有名な「神はそのひとり子を…」の箇所です。
 ガラテヤ2:20は新約聖書の心臓部ガラテヤの心臓部の節です。

複製の過程|VC, D

アウトラインVのCとDでは、「複製」のことを、様々な務めの特有な言葉で書かれていますが、引用される聖句とどう言う関係があるのか、ぱっとみ読み解きにくいものもあります、これを単純に捉えたいと思います。基本的にCとDは全部「複製」ということの言い換え(パラフレーズ)です。御言を是非覚えていただきたいので、御言の抜粋をリストアップさせていただきます。できればこれらの御言をセットで覚えておくといいでしょう。

引用されたのは、現在進行形の複製のプロセスを表している御言ばかりであることに、注目していただきたいです。(下線に注目)

*御言の右隣がアウトラインの番号です。

  1. 「…キリストがあなたがたの内に形づくられる…」ガラテヤ4:19|C
  2. 「…神の増し加わりによって成長する…」コロサイ2:19|C2
  3. 「…すべての事で…キリストの中へと成長し込む…」エペソ4:15|C2
  4. 「…その新しい人は…新しくされつつあるのです」コロサイ3:10-11
  5. 「主と同じかたちへと造り変えられていきます2コリント3:18
  6. 「…キリストが…あなたがたの心の中に、ご自身のホームを造る…」エペソ3:16-17
「ホームを作る」ことの意義|VD

「ホームを作る」ことについて正しい認識を持ちましょう。

また、キリストが信仰を通して、あなたがたの心の中に、ご自身のホームを造ることができますように.
回復訳聖書 エペソ人への手紙3章17節

メッセンジャーの言葉を引用します:

英語では、お客さんにくつろいて欲しい時に、"make yourself at home"(ご自宅のようにおくつろぎください)と言います。そう言われると、心の優しい方だなあと思います。でも本当に自宅のように振る舞いません。なぜならは自分はあくまでもゲストですから。わたしたちは主を、ゲストとして扱うつもりで、「どうぞ自宅のようにおくつろぎください」と言うべきではありません。ロン兄弟
※オリジナルよりアレンジあり。

ウイルスにかからないように、なんとか生き残ろようとだけ思うべきではありません。神聖な統治のもとに生き、一時も離れることがないように。

以上。

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